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しもねたネギのうた

ある夕食のこと
先日旅行で行った群馬の帰りにSAで母が大きな下仁田ネギを購入していた。


そして今夜母はそれを使い豪華にすき焼き鍋を作ってくれた。
砂糖は使わず、オリゴ糖のシロップとラカント、白だし、醤油で味付けされたすき焼きはとても美味なものだった。
お肉も奮発して買った冷凍庫に眠っていた国産黒毛和牛を引っ張り出して、特に何もない日だったが豪勢な夕飯だった。

私はネギの食べどきがわからず無難にお肉や野菜、きのこなどを食べていた。

そして母が一言 
『下ネタネギ食べないの?』

一瞬母も自分が何を言ったのかわかっていないようだったが、間違いに気づきすぐに笑いに変わった。

母は自分の間違いがツボに入ったらしくとても笑い
あみんの待つわにのせて下ネタネギの替え歌を歌っていた。

母『可愛いふりしてあの子割とやるもんだねと♪』
私(あの子?そんな歳か?)
母『言われ続けたあの頃生きるのが辛かった〜♪』
わたし(...)
母『下ネタネギと、、プッ!また間違えちゃったあはは! 下仁田ネギと下ネタネギを間違えるのね♪』
私(....歳をとると他愛もないことでも笑うようになるのかな)
母『娘からは白い目でずっと見られてるけど♪』...続く

そう、私はたまに歌う母の替え歌があまり好きではなかった。
それはなぜかとても耳に残るキャッチーなフレーズだったからだ。

こんな物書きをしている傍ら私はシンガーソングライターやポールダンス をやっているが、母がたまに歌う替え歌や変な言葉遣いが頭から離れずに創作が思うように進まなかったりダンスも曲が頭に入ってこなかったりする。

意外と母は文才があり曲を書いたらいいのではと思う時もあるが、それは私のプライドが邪魔をしてそんなことないと言い張っている。

なんとも滑稽だ。
私は頑固でいじっぱり、自分の歌に自信を持っている。だからこそ身内の歌を認められないでいるのかもしれない。

母は声楽を習っておりコンクールでは2位をとる腕前だ。
だがポップスとクラッシックは根本が違うと私は感じている。
もちろんアドバイスは大事だが、それは時として牙となり私の心に突き刺さる

ただ誉めて欲しかっただけ。

それが伝わらずここがもうちょっと、、などアドバイスをされて何度傷ついたことか。
こんなメンタルでは音楽は続けていけないと思い離れたこともある。

だが、私の頭の中では常に音楽が流れている。
ふと気づくと詩を書いていたり思い立ったように曲を書いていることもある。

そして母の歌うよくわからない替え歌を歌っている時もある。

しもねたネギ

些細な言い間違いも
曲として世に出すことができる。

母が歌う時はいつも冷ややかな目で見ているが、それが私のヒントになっていることもある。

今日はそれが下仁田ネギ
私もつられて言葉にした
しもねたネギ。


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