乳がん備忘録#7.7~番外編~本質的な優しさ、美しさってなんだろう?
乳がんの治療は決断の連続です。
しかも、やらなくて済むならやりたくないことをひとつひとつ決断していかなければなりません。
だからせめてお世話になる病院や主治医の先生は自分が信頼出来ると納得して、主体的に決めることが大切だと考えています。
私が主治医の先生を共有しようと思ったのは、部分切除で、残ってくれた胸の形が思っていたより美しく保たれたこと、もうひとつは手術の傷跡が綺麗に治ってきているからです。
乳がんと診断された時、右胸の状況が今後どのように変わってしまうのか不安でたまりませんでした。
乳がんの好発部位って、乳頭を境に頭側と足側で上下に分けると、圧倒的に上部が多いです。
ところが、私の乳がんがあった場所は下部でした。美しい言葉ではないのですが、伝わりやすいので書くと俗に言う下乳の部分です。
がんになっていた範囲は少なかったので、部分切除が適応になったものの、手術の説明の際、特有の綺麗な丸みを出すのは難しく、胸は残せても変形が目立つかもしれないと言われていました。
そして、変形を避けるなら全摘して再建することを勧められていました。
しかし、どうしてもがんの範囲が少ないにもかかわらず全摘することに納得できませんでした。
とはいえ、部分切除後の胸の形がどのように変化するのか気になって、インターネットで情報を調べすぎて怖い画像を見つけては余計に落ち込んでいました。
胸を残すことができたとしても、もう水着を着たり大浴場に行ったりすることが叶わなくなるかもしれない。
ネガティブな想像をして、悲くなっていたのも今は良い思い出です。
最初に書いたように、乳がんの治療は決断の連続です。
病院や主治医を決めることは、乳がんと診断されたら初めてする大きな決断になると思います。
各々の病状や体型、体質の違いなどの影響もあるから、納得できる結果になるかはわからないし、これが正解だと断言する気も全くないけれど、
手術の後に続く検査や治療のことを考えると、せめて主治医の先生を共有することで、当事者の方が、術式の決断する過程での精神的負担を少なくすることができるのではないか?
と考えていたのですが、求めていないタイミングで情報を共有することはかえって、情報の価値を下げてしまうことになると思い直しました。
自ら情報の価値を落とさなくて良いやん。
だからといって有料で共有するのは自意識過剰で傲慢な気がするし、やり方として美しくない。なによりやりたいことからズレてしまう。
そこで、当事者の方にいち早く情報を届けるということを考えた時、noteで共有するよりも私が使った口コミサイトにレビューする方がよっぽど、当事者の方、主治医の先生そして自分のためになるし、情報の価値も相応になると思いました。
私って意識しないと自分のことを後回しにして、キャパがないくせに、限界以上に手を伸ばしてでもひとのことを助けようとする癖があります。
人によっては優しいと言ってくれることもあるけれど、
これは私の心の安寧のためには良くない癖だと思っていて、
人助けは自分が無理なく手を差し伸べることができる範囲にする。
わざわざ腕を伸ばさなくても、当事者の方は自分の力で解決することができる。
頑張らなくてよいところで欲張らない。
中途半端なことをして信頼を失う位ならしない決断をする。
全員にとっての良い人になろうとしない。
めっちゃ普通のことを書いていると思うけど、私からすると意識しないと忘れてしまうことなのです。
冷静になって、長期的な視点で当事者のことを考えるなら、自ら探して、検討し、決断するというプロセスを経たほうが、どんな結果になっても納得感を得やすいと思いました。
これも、病気を経て私が感じたことです。
憧れの人に質問するため、文章にまとめていたら人を頼るまでもなく、自分がどうしたいのかが明確になるきっかけになりました。
noteに共有することなんていつでもできることですしね。
書いてみて随分、術後の期待値を上げてしまっている気がするなあ。
もちろん、手術は魔法ではないので右胸の大きさも形も変わっていますし、傷跡は目立ちにくくなっているものの残っています。
毎日見るし2つあるものだから、どうしても比べてしまいます。
でも私は、もうこれ以上自分のことを嫌に思いたくなかったです。
ここまで頑張ってきた自分に優しくありたいから、比べてしまう気持ちを否定したくない。
だからといって、失くしたものを数える人生ではなく、手術によって得たものに感謝する人生でありたい。
そしたら、自分の中にある美しさに対する固定概念に気づく事ができて、その呪縛から自由になり気持ちが楽になりました。
もちろん手術前の美しさもあったけれど、手術後の美しさにも気づくことができて、美しさに対しての視野が広がったと言いたいです。
胸は女性を象徴する大事な身体のパーツだけど、【たかが胸のサイズなんて小さなこと】だと思えているから、今こうして生きていることが幸せです。
そして、健康に過ごすことができる30代と40代以降の人生が、かけがえのないものと気づくことができたのは、毎日目にする傷跡とガンのおかげです。
34歳という、人生で特別遅くも早くもないタイミングで命と向き合える経験ができたことに感謝しています。
今後どうあっても私は美しいし、かけがえのない存在。
そしてそれはここまで読んでくれたあなたも同じですよ。
ここまで書いて、肝心のレビューはまだできていません笑
できた時点で共有させてもらいます。
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