『余白』午前10時の女の独白

下記は、以前上演した『余白』より、一部を抜粋したものです。午前6時から午後6時まで、2時間ごとに朝を迎えるそれぞれの女たちの独白を、毎日ひとつずつ、その時間に投稿します(〜7/27)

今朝は起きるのがだるくて、熱をはかってみたら38度。冷やしたタオルをおでこにのせて、さっきから遠く天井を眺めて寝転んでいます。カーテンの隙間から覆いきれない日差しがもれている。母が言うには、今日は昨日と打って変わってとても暑いらしい。ちらっとめくって眩しくて目がやられたので、これ以上外を見るのはやめておいた。たぶん今日は一歩も家を出ることはないだろう。

実はそんなに具合が悪いわけではないのだけど、特にこれと言ってやることもないので、明日に備えて一日のんびりすることにします。わたしの物はもう大体段ボールに詰めてしまったので、何かを始めるには遅すぎるのです。先週は宿題なんかもわたしだけ提出義務がなくて、恐れられていたあの先生にまで怒られない優越感。

わたしの部屋はすでに家族の荷物の溜め場になっている。仕方なくわたしは兄の部屋に避難して、ベッドに倒れ掛かる。兄の部屋はまだ散らかっていて、服が脱ぎ捨ててあったり、ゲームがテレビに繋ぎっぱなしだったり、一体明日までのいつ片付けるつもりなんだろう。わたしはベッドの上から退屈しのぎに兄の私物を放り込んでいるけど一向になくなる気配はない。むしろこのまま置いてかれたいのかな。強く吹いた風が部屋に舞い込んでカーテンがわたしの身体を押す。引っ越しの直前までしまわれないガラクタってなんなんだろうと思う。ずっと取っておきたいほどの思い入れもないんだろうに。この家に住み始めて十年、今の今までずっと捨てられずに居座ってきたことの方が不思議。忙しかったのかな。人からもらったキャンドルは一度も使われないまま、透明の道具入れにぽんと放り投げた。小学校の時の消しゴムも同様。じゃなかったら埃をかぶった姿を晒して、更に可哀想だろうと思う。
特別だと思ったものは、そうでなくなる前にしまってしまうのがいい。

そう言えば、あの時もらったオレンジの、どこにいったんだっけ。誕生日にもらった匂いのするの。筆箱を開ける度にずっと嗅いでいた。今まで思い出しもしなかったのだから、あの透明の箱の中でどれがどれだか判別できなくなっててもおかしくない。寝ながら何かの童話を思い出した。古くなった鞠がねずみにかじられて、最後に金色に塗り直してもらうお話。想像の中ではもう一度匂いをつけられたオレンジの消しゴムが意気揚々と部屋に帰って来ようとしている。

その時わたしはいないのだけど。

さっきまでわたしは夢を見ていました。なぜか京ちゃんとボール遊びをしながら、一言も話すことなく、ただただボールを投げています。

京ちゃん、段ボール詰めてみたらさ、なんか殆ど紙きれしかなくて、がっかりしちゃった。十年住んでてさ、紙ばっかり溜め込んでるの。授業プリントとか一年経ったら見るわけないのにね。修学旅行の時の写真出てきてさ、もっと変わってるかと思ったら…あ、そっか。京ちゃん、別の中学だったね。ねえ、久しぶり。ボール遊びなんて小学校以来だね。なんか、もっと近かったと思ってたのね。最初はお互いぺったりくっついてた気がして、写真見たらそうでもなかった。

最初からわたしと京ちゃんはこのくらい離れていて。京ちゃんはどんどん遠くなっていくようでした。

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