『余白』午後6時の女の独白

下記は、以前上演した『余白』より、一部を抜粋したものです。午前6時から午後6時まで、2時間ごとに朝を迎えるそれぞれの女たちの独白を、毎日ひとつずつ、その時間に投稿します(〜7/27)

「もしもし…ごめん、そう。お願いできるかな。うん、ありがとう」

壁の傷は少ない方なのかもしれません。匂いもそれほど染み付いてはいないのでしょう。明かりを点けるたびに感じる違和感は、普通の人ならもっと頻繁に感じるもので、起きた時に誰でもない自分のことを心配するわたしが情けない。久々に遊びにきた友達が驚いていた。一年前に借りたこの部屋はまだ写真も飾ってなくて、引っ越してきた時とさほど変わらない。わたしたちもさほど変わっていない。15分寝過ごしてしまったことは今日に始まったことじゃなくて、今週は3度目になる。

保育所から渡されたママの絵は、予想していたよりずっと特徴がなくて、手渡された時に何も言うことが出来なかった。思わず自分の顔を鏡で確認してしまったり。大学生のお手伝いなのか、若い女の子が『始めはこんなものですよ』と言う。『とても上手ですね』と言う。困り顔で微笑んで受け取った帰り道、車の中であなたが寝ていることにほっとした。一年前と違って、わたしと離れていても、あなたにはあなたの時間が流れていることに気付く。わたしの知らない人に出会って、新しい道具を使って。お腹の中にいた頃は、あなたがずっとこうして同じように世界を見ているのだと思っていた。でも今わたしはあなたの世界を見るために、人から渡されたクレヨン画とにらみ合っている。わたしの口はこんなにも三角なんだろうか、と触ってみる。今はもう違うのかもしれない。三日前はすでにぼんやりとしている。わたしの顔、どう見せてたんだっけ…?

気付けば日付が大変なことになっている。2012年にゼロがひとつ多くて、二万十二年。あの若い女の子が教えたんだろうか。クレヨンだから消せなくてちょっと困ったかな。この数字が何を意味するのか、生まれてからまだ一年しか経っていないあなたには数え方さえままならないだろう。初めての誕生日の時のぽかーんとしたあなたの顔。何を祝われているのか分からないうちは、あなたには知る由もない。でも、二万十二年にしてしまえば、1歳も27歳も変わらない。二万十二年にわたしはおばあちゃんですらない。そのとき、あなたはすでにこの世から消え去って、たぶん名前さえ知る人はいないだろう。朝まであなたがここにいたという形跡はほんの少し、次に住む人が埋めてしまう。紅茶の湯気くらい、すぐ消える。

一杯の紅茶よりも、あなたが大事だと思えるのは、親子という細いひもでつながっているだけで、わたしがそれで何を得ることもない。むしろ出ていくことの方が大きい。賞賛されるでもなく、縦横無尽な線だけの、三日前に描かれたこの絵をわたしは何度も取り出して、やっぱりにらみ合う。その価値をどこに見出したのかも分からず。50年もすれば、この絵もどこともなく消えてしまうのだろう。たとえ大事にしまってあったとしても、あなたにとっては気まぐれに描いた絵のうちの一枚なだけで。それでもこの絵は、わたしが生活するための大切な絵なのです。

「きれい」

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