正午の女の独白

下記は、以前上演した『余白』より、一部を抜粋したものです。午前6時から午後6時まで、2時間ごとに朝を迎えるそれぞれの女たちの独白を、毎日ひとつずつ、その時間に投稿します(〜7/27)

とても良い天気です。すっかり晴れて。どうしてこんなに晴れたのかなってくらい。久しぶりにとても良い天気だったので、昼近くまで寝ていたあげく、どの服を着るべきか迷って家を出るのが遅くなってしまいました。昔からなのです。こうして遅くなった分、きっと誰しもに遅れをとっているのだろうけど、わたしにとっては至福の朝を過ごせたから構いません。ここのところ、わたしが人の目を気にすることをやめたからか、どこに行っても眠くなる。それにしても今日は見上げるばかり、太陽の日差し。今朝はお粉を多めにはたいたけれど、日焼けしてしまうんじゃないかしらと、手で日差しを避けるようにかいてみる。公園は炎天下の中、殆ど立ち止まる人はおらず、小さな女の子たちがボール遊びをしているだけである。本当に小さなことがきっかけで、さっとふたりは離れてしまう。子供の喧嘩なんてきっと明日には仲直りしてまた一緒に遊ぶのだろうけど、それでも置いてかれた子はわけがわからなくて、ふたりの会話を頭の中で反芻している。どこで間違ってしまったのだろう。さっきまで楽しくいられたはずなのに。

電車の窓に顔をぶつけ、おでこを冷やす。先の太陽の熱を逃がす。ひんやりして気持ちいい。地下鉄で瞬きするたびに暗転する世界が誰にとって存在しているのかわたしは知らない。窓に映った自分の姿を指でなぞる。誰かの指紋と交差して、慌てて窓から離れた。そういえば最近、誰かに触れたことがない。人の生暖かい手と当たるのが嫌になり、満員電車を避けるようになった。

1999年7月、世を騒がせたノストラダムスの大予言は例外なくわたしを怯えさせて、これ以上先に進むことの意味を失った。生活は続いているけれど、終わりを見据えた現在は幸福であるほど恐ろしく、誰もが終わりに向けて妥協点を見据えている気がして、人の顔を伺うようになった。
残念ながら、わたしはそれほどの勇気を持ち合わせておらず、そうして大予言は何事もなく過ぎた。

7月最後の夜、わたしは布団を被って、祈った。

刻一刻と時間が迫る中、わたしはまだ何も始まっていないのだと何度も励み、けれど、何もかも諦めたとき、幸福が期待の度合いによって変わるのだと知った。終わりの瞬間はどれほど人を求めようとも孤独なのである。世間の孤独をすべてこの腕に抱きしめたような全てを悟ったようなこの瞬間は永遠に続くようで、次の日の朝を迎えないことが嬉しかった。愛おしい時間がこのまま終わってしまいますように。そうして眠りにつくまでの時間、わたしは人生で一番幸せだった。

「結構です。すぐ降りますので。座りません。座らないわよ!」

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