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生きるために、死を思う。

死んでもいいや、とか。
このまま生きててもしょーがねーよ、とか。
そんなことを常々考えているけども、死ぬのはとてもイヤである。
死にたくない。まだ生きていたい。

じゃあこの、死に対する忌避感みたいなモノはどっからやってくるんだろうね。
一般論ではなく。私が私を掘り下げてみる。

・死ぬのは痛くて寒くて苦しい

最大の理由はコレ。
『押した瞬間苦痛なく消滅できるよボタン』とかあったら、ワンチャン興味本位で押しちゃってたと思う。
長時間の苦痛を伴いまくる死に方(生きたまま隙間の少ない棺桶に詰められて、通風孔を確保された状態で埋められるとか)と、痛みを感じる暇もない死に方(よく知らない)が理論上存在するのはわかる。

けども。
死んだこともない、どこの誰かもわからない生者が語る死に方を鵜呑みにできるような甲斐性?があったなら、そもそも死のうなんて思わねーよ、っていう。
信じられないから死にたくなるのよ。

・自身の死に対する周囲の反応を想像すると心苦しい

これは、自分が『天寿を全うした』と思われるほどの年齢でないことに起因する。って気がする。
もし自分が現在89歳とかなら、この件に関しては解消されるかもしれない。

…が。
『二十歳になったら』『大人になったら』と想像していたことって、今のところは大体外れてんのよね。メンタルはたぶん、19歳で止まってる。だから案外、89歳になっても今と同じかもしれない。

「どーせ死んだら、後のことは自分が認知できないから関係ないじゃん」とは考えられない。

今死んだら、リアルに事後処理されるのが恥ずかしい。その『恥ずかしい』すら感じられないかもしれないけどね。

これはきっと、やったことないしやる予定もないけど、スカイダイビング童貞みたいな感覚。
死んだことが(たぶん)ないから怖い。「飛んでみろよ。飛ぶぞ。」と言われましても。怖い。

・現状に致命的な『納得できなさ』がある

可能性を鵜呑みにできないくせに、可能性にすがっている。
「こうなってしまったのは、私が死んであげるほどのことなのか?お前らが謝罪して反省して変化を約束するならば、まだもうちょっと生きてやってもいいんだが?」という感情。
『死にたい』ではない。『生きていたくない』に追い込まれてしまっただけだ。

・人生は一回しかないから死ぬともったいない

これは…正直、あまり感じない。人生が一回って、そもそも本当なのかと。

『もったいない』論で言うならば。
輪廻転生を鵜呑みにはしていないけれど、無いとも言い切れないでいる。その理屈で言うと、「人生は一回しかない」の確証があやふやになる。

ただ。きっと。
私は、2020年代の日本に生きていて、不景気だコロナだなんだ言われてるのに、今でも死を回避し続けている。
メディアで死者数があんなに騒がれているのに、よ。これは妄想でも厨二病でもなくて、死が例年以上にすぐそばにあるのに、まだ生きてんのよ。現実。

同じ日本に生まれていても、時代が違ったら。
「えー平家じゃなければ運ゲーで殺されちゃうのー?ヤッバ!」
「えー頭を下げなかっただけで無礼討ちされちゃうのー?ヤッバ!」
「えー昨日空襲があったのー?それっていつ来るのー?ウチには来ないよねさすがにー。ヤッバ!」
…って感じで、傍観者気分で油断できている。
今こうしてスマホ片手にnoteなんぞを書いているのが、平和ボケも甚だしい。
コロナがそこにあっても尚、だ。

同じ時代に生まれていても、場所が違ったら。
これは…リアルタイムのことだから、言及するのはやめておこう。

箇条書き、終わり。

きっと。
人生は一回以上ある。これは少なくとも確実。一回『以上』だから。一回あれば充分成り立つ。
異世界転生も、同世界転生もある。のかもしれない。

が。
これをもし読んでおられる方が、日本人ないし日本語にご達者な方である前提だけども。敬語テキトーだな。まあ、本質は伝わっていると仮定すると。

今。
あなたがあなたのボディをもって。
今。
こういった時代と環境に生きていて。
今。
インターネットを使える程度に恵まれていて。

転生があるとしてもよ。
今の現世で結びついた大切な人たちと、また都合よく巡り会えると思うのかい?
同じ時代の、同じ地域で?
だとしたら、どんだけ奇跡にすがってんのよ。

また会いたくはねーのか?
また話したくはねーのか?
あの時の、あの人にさぁ。

それでも腑に落ちねーことがあるかもしれないし、
私はその熱量や当事者意識に共感できる立場にいないし、責任なんか取れないけどさ。生きてくれよ。 

生きろ。
生きてくれ。
生きやがれ!
生きやがれ!

…と。
私は私に通達する。

おしまい。

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