見出し画像

インターにしなかった理由②

日本人としての希少価値

前回さらっと「20世紀に先陣を切って海外を飛び出した」と書いておりましたが、そう、初めて留学をしたのは20世紀でした(怖い)。

それから長いこと日本にいませんでしたので、良い意味でも悪い意味でも半分日本人、半分外国人だと自認しています。
日本で私はかなり外国人っぽいと言われます。何しろキャリアのスタートは日本ではありませんでしたから。そして生活する上での物事の考え方も。
ただ、海外では「さすが日本人!」と言われることが多々ありました。それは、協調性を重んじる、礼儀正しく振る舞う、チームの仲間や相手の心の機微を感じるなどの必要性があった時。
自分では全く思っていなかったけど、仲間たちからはりりは「めちゃくちゃ日本人!」という評価をもらいました。
あとは、裏切らないとかw
これはおそらく国籍は関係ないけど、外国で働くと、「人を裏切る=次はない、どんな仕打ちがあるか分からない」などという結果が想像できるわけです。だから、仲間のことは絶対裏切らないし、全力で守る、のが私流でした。

なぜこんなことを書いたのかというと。
娘のインター問題ですよ〜!
前回も書いた通り、世間が言うようなこれからの日本人像を思い描くと、きっとインターに通っていた方がスムーズに海外の人々と馴染めるだろうと思いました。母は日本で自己主張が強すぎると言われ続けて落ち込むどころか逆ギレしたこともありますし(やっぱり強すぎるw)、それ位個性の一部だと思ってくれる海外での生活の方が楽だろうとも想像できるわけです。
ただ。
踏みとどまったわけです(前回はここまで書きましたね)。

はい、ここからは私見ですよ↓

日本は少子化が進んでおり、海外からの労働人口の流入もかなり高い可能性として想定される近い未来。
日本人って希少性が出るんじゃない?
と思ったわけです。
そうなると、どうですか。
インターに通わせると英語はある程度はできるだろう、そして色々な国の友達ができてコミュニケーションもスムーズだろう。様々な考え方に触れ視野もきっと広がるだろう。
とは思う。
ただ、1日の内の大半を過ごす学校で、侘び寂び的なこととか、心の機微とか、いわゆる世界が言うような日本人としての良さ的なところを身につけられるのだろうか?と、こんなにも日本人っぽくない母が思い至ったのです。打算的ですが、これまでそんなこと全く必要ないと考え、できれば中国人と勘違いしてもらいたいとすら願っていた私ですが、やはり日本人って高評価なわけですよ。
きちんとお辞儀をしてご挨拶ができ、きれいな日本語で話せ、相手のことを慮る子は日本でも大事にされると思いますが、希少価値として海外でもポイントを加算していただけるのではないかと。もちろんインターにもそういうお子さんはいると思いますが、ほら、ドジャースの大谷選手なんて大絶賛じゃないですか。この辺りを思いついた時点で心の秤がグググっと日本の学校に傾きました。

じゃあ英語はどうする?

はい。結論から言うと、まずは日本語だろう、と。
私はネイティブ並みだと言っていただけますが、中国語を学んだのは18歳からです。英語は超絶スパルタ高校の英語科を卒業、高校2年生くらいで英検準一級は当たり前みたいな環境でした。
ただし、語学を学ぶことは一筋縄ではいきませんよね。
まずは学ぶ言語そのものの体系を知らねばなりません。そして言語は文化です。どのようにこれらを知り、言語習得を図るかには基礎条件をしっかり把握する必要があります。もちろん時間がかかります、必死にやるしかないです。次に考えておくべきことは、来るべき未来に子どもたちがどの程度の英語力が必要となるか、ではないでしょうか。

私は中国語で3万文字の論文を書きましたが、文献を読むことや論文作成においては、普通の生活では全く使うことのない単語もありました。また、論文を書いたからと言って中国語を使ってビジネスができるかというと別問題です。

ビジネスにはビジネスのテクニックがありますし、できれば交渉相手の文化背景を知っておくことが大事です。言語は二の次であっても構わない気すらします。どちらかと言うと意思の疎通を図ろうとする気持ちとか、相手を知ろうとする姿勢、あとはちょっとしたユーモアなどの方がずっとずっと大事です。
ちなみに私が高校生のころ、超絶スパルタ高校で経験したことをお伝えします。
「Often」という単語の意味を調べようと英和辞典をひいたところ、「しばしば」と書いてありました。
「芝芝?」「柴柴?」「司馬司馬??」
と全く意味が分からず挙句には国語辞典を引くハメに・・・www
今でも覚えています、シバシバが頭の中をぐるぐる回り、意味が分からずフガフガ言っておりました。で、高校2年生くらいで英検準一級を取りはしましたが、英語でビジネスは到底無理。

これを思い出したのです。
インターにふれていた心が一気にゼロ地点へ戻りました。日本語が分からずして、なのだと。
文化はその国の人に習えば良い、その時にその言語も身につけられる。逆に自国を語れるだけの思考力、発信力を身につけておいてほしい。
との思いに至り、インターにはソーリーメールをお送りしました。

と言うのが我が家の決断。
ほーーーんとに私見です。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?