ニーゼロイチイチサンイチイチ

あの日、ぼくはまだフリーターで、実家で漫画を読んだりゲームをしたりして、とにかくだらだらしていた。

そして、あれが起こった。

まず、壁一面の本棚から本が飛び出してきた。

これはまずい、と思い、あわてて一階に降りた。

リビングには祖父がいた。

当時、あまりそりが合わずに、顔を合わせれば喧嘩のようなことを繰り返していた祖父だ。祖母は先立ち、孤独な面貌で、いつも機嫌が悪く、家族の誰もがその存在を持て余していたように思う。

だけど、その時はなぜか、その祖父の手を取って、外へと飛び出した。

地鳴りが、耳をつんざいた。

空が、慄くように、ひび割れるように、鳴っていた。

ぼくと祖父は、絶句するほかなかった。

握った手を、より強く握りしめた。

祖父もまた、ぼくの手を強く握り返した。


揺れが落ち着いてから家に戻ると、飼い猫が姿を消していた。

逃げるときに、玄関のドアを開け放したので、きっと、パニックになって外へ飛び出してしまったに違いない、と思った。

祖父を家に置き、猫を探したが、いない。駐車場の車の下とか、隣家のブロック塀の陰とか、一時間ほどかけて、考えられる場所はすべてさがした。

猫の感情を想うと、泣きそうだった。

人のことが嫌いな、臆病な猫なのだ。気づいたら、知らない場所に置いてけぼりで、目に入るすべてのものが敵で、恐怖の対象であった猫が、長生きできるはずがない。

近所の人に手当たり次第聞き込みをおこなったが、手がかりはゼロだった。

絶望的な気分で家に戻ると、母がパート先から帰ってきて、リビングでロウソクを灯していた。電気が途絶えたらしい。

寒い日だった。

震えながら、ロウソクの灯をぼんやり眺めた。

すべてが変わってしまった、という強烈な思いが、口を閉ざした。

と、当時のバイト先から電話がきた。

「こんな状況だから、明日は早めにきてほしい」

という、連絡だった。叫んでしまいそうだった。

仕事なんてしていられるか!  と。猫のこともあって、気分がささくれだっていた。

でも、ぼくはその願いを了承した。おかしな責任感だと思った。

とにかく、猫のことが気がかりで仕方なかった。寒くて、ひもじい思いをして、人から逃げて、人から逃げて、いつか、車にはねられて死んでしまうのだと思うと、胸が張り裂けそうだった。

ところが。

数時間してから、ふと、リビングの壁際にある回転座椅子をどけると、なんと、その陰に猫がいた。

こわくて、こわくて、こわすぎて、数時間、そこでじっとしていたのだった。

「よく考えたら、この怖がりが、外に飛び出せるわけないよねえ」と、笑った母の声は、すこし、震えていた。


あの日に限って言えば、ぼくが学んだことと言えば、

家族との血のつながりは避けられないということと、

なにか大切なものを失う瞬間は突然訪れるということと、

猫は怖がると狭いところに逃げ込むということだった。

抱き上げようとしても、カチンコチンに体を強張らせた猫を家族で見て、つい、クスクスとぼくたちは笑っていた。

もう少し頑張ろうと思えた。

折り合いが悪くても、血の繋がった相手を尊重して、必要ならば手を取り合って生きていかないといけない、と、思った。


数年後、祖父が亡くなった。

病状が進みきって、もはや打つ手なしとのことで、祖父への処置は「終末医療」に突入した。

病院の隣に併設されている、酒もタバコもOKで、ストレスのない施設に、ようやく『空き』が出て、移転作業をおこなった。

「これでなんでもできるな。やったな、じいちゃん」

と、言ったら、祖父は「ああ、よかった」と、力なく笑った。

その日の夜、祖父は亡くなった。眠るように息を引き取った。

「施設」に入れたことで安心しちゃったのかな、と、家族と話した。

震災とは直接の関係はないけれど、ぼくのなかで、祖父の死は地続きの記憶として残っている。

きっと、あの日、握った手の感触のせいだ。

祖父は大事なことを教えてくれた。

明日を生きるには、強い気持ちが必要だということを。

別に命日でもなんでもないんだけど、ぼくは、かならず、この日に祖父のことを思い出す。

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