『アルストロメリア』の歌詞は退屈である(いい意味で)
・今回取り上げる歌
前回に引き続き、「幸福」がテーマの曲をみていこうと思います。
今回取り上げるのは、「シャニマス」こと「アイドルマスターシャイニーカラーズ」から、アルストロメリアの曲『アルストロメリア』です。
・アイドルソングは単語選びが大事
言うまでもなく、アイドルソングというジャンルの曲は、歌詞がとても重要です。個性豊かなアイドルたちが本当に言いそうなこと、考えていそうなことを歌詞としてパッケージして、聞き手に「そうそう、この子はこういう歌が合ってるんだよ!」と思わせないといけません。
曲調や歌声、ダンスなどでも個性は演出できますが、やはり歌詞が占めるウェイトはかなり大きいと思います。
しかもほとんどの場合、アイドル自身は作詞をせず、プロデューサーや作詞家が作詞をします。どうしても「借り物の言葉」になるのです。
作詞家が書く歌詞が「借り物」であるなら、本人に作詞させればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、これは僕は間違いだと思います。
言葉というものは、ありのままに書けばありのままに伝わるほど便利なものではありません。だからこそ、書き手はあれこれと苦悩して言い回しを変えてみたり、文章にリズムをつけたりするのです。
・『アルストロメリア』の歌詞は退屈である(いい意味で)
言葉はそのままの意味では伝わらない。
その事実をうまく逆手に取ったのが、今回紹介する『アルストロメリア』なのです。
この曲は、一言でテーマを述べるなら、「こんなダメな私でも、好きになってくれますか?」というタイプの……まあよくあるテーマなんですが。
ただし、そのテーマの表現の仕方がアイドルらしくないんです。
ふくらむ蕾が傷だらけでも 優しくそっと手を取ってくれますか
ねじれたバルブ(茎)が不完全でも 変わらずずっとそばにいてくれますか
自分のことを「未熟な蕾」と言うことはあっても、「傷だらけの蕾」とはなかなか言わない気がします。
同様に、「茎」を「ねじれ」させて、さらに「不完全」にさせる必要は、普通はないと思います。
こういう部分に、わずかな自傷のようなものを感じます。そもそも、歌い出しからして「気絶しそう」ですから。大袈裟かとは思いますが、命がけの恋なのです。
さらに、自分のうまくいかない日常を語る部分では……
ニヒリズム(虚無主義)もペシミズム(悲観主義)も退屈がテンプレ
真っ赤なりんごは落ちてこない 木の上のまま
と歌います。
正直に言うと、僕は『アルストロメリア』の歌詞でこの部分が一番好きです。だってこんな退屈な言葉を可愛く歌うアイドルいます?
……そして、この退屈な部分にこそ、この歌の真の魅力が詰まっていると思うのです。
・なぜ『アルストロメリア』は幸福感に満ちているのか?
『アルストロメリア』は幸福感に満ちた歌です。聞いているこっちまでほんわか温かい気分になれます。
その理由は、曲自体がよかったり、サビの歌い出しが「幸福論 誕生」だったりすることも大いにあるとは思います。
でも、僕はそれだけではないと思っています。
どれだけ「傷だらけ」でも、「ねじれ」ていても、「真っ赤なりんごが落ちて」くるのを期待せずにはいられないからこそ、「幸福論」が「誕生」するのです!
その『期待せずにはいられない気持ち』が、アイドルソングらしくない歌詞の奥に潜む確かな真実だと! 僕は声を大にして言いたいのです!
どんな退屈な言葉を使おうとも、そこにあるのは『期待』という感情なのです。それがひしひしと感じられるからこそ、この『アルストロメリア』という歌は、幸福感に満ちているのです。
言葉はそのままの意味では伝わりません。
それは「伝えたいこと」に対してどの「言葉」を選ぶか、様々に挑戦する余地があるということでもあります。
『アルストロメリア』は、その挑戦に見事打ち勝ったのです。素晴らしい歌詞だと思います。
・最後に
……ということで、今回は『アルストロメリア』について好き勝手語りました。
果たしてこんな一人語りに需要があるのかという恐怖と戦いながらも、好きなものを好きと言うくらいはいいだろう、と強引に自分を納得させてキーボードを叩いている次第です。
次回もまた、好きな歌について好き勝手いろいろ語れたらな〜と思ってます。どの歌にするかはまだ決まってません……。
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