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【光る君へ第11回】取り返せる失敗、取り返せない失敗

人生には失敗がつきものである。
誰しも嫌な思い、悔しい思いを重ねつつ進んでいく。

失敗にも種類がある。
自らの努力や思考方法の見直しなどにより、後から取り返せる失敗。
そして、もう二度と取り戻せず、人生が終わるまで影を落とす失敗。

大河ドラマ「光る君へ」第11回(2024年3月17日放送)を見て、そのことに思い至った。


摂政と直接対面?

第11回は、花山帝退位・懐仁親王(一条帝)即位により藤原兼家が摂政として政権を掌握した一方、藤原為時が官位と職を失う場面から始まった。

家庭の危機に直面したまひろは早速左大臣家に行き、源倫子に口利きを頼もうとするが、「摂政さまのご決断は、すなわち帝のご決断。左大臣とて覆すことはできません。」と退けられる。

次いでまひろは倫子の制止も聞かず、兼家に直談判を申し込んだ。兼家は面会に応じる。

さすがにこれはありえない場面だろう。身分の違いもさることながら、兼家にとって為時はもはや視野にさえ入らない人物である。その家族など、会う義理も何もないはず。

それでも面会する気になったのはなぜか。私は、風呂敷を広げるが如く羽ばたかせたストーリーを史実に合流させるための、大石先生の力技と感じた。これまでの流れに任せていては、”まひろと道長はくっつきました”とする方が自然になってしまう。それは史実に反するため、まひろに「そうと気づかないうちに、取り返しのつかない失敗をさせた」のだろう。

二人のロールモデル

この時点でまひろには、ロールモデルとなりうる人生の先輩が二人いた。

ひとりはサロンの講師役を務めている赤染衛門。
もうひとりは、受領階級の家柄の出ながら和歌や漢籍の知識に優れ、琴もきれいに弾ける高階貴子である。彼女は兼家の嫡男・藤原道隆の嫡妻で、夫と仲睦まじく、充実した暮らしを送っている。

兼家も、彼女のことは「できた嫁」と見ている。すなわち、もともと兼家は家柄にこだわらず、自分の家にとって役立つ人ならば歓迎する懐の深さも持ち合わせている。

さらに、この時点でも道長はそう大きな力を持っていない。姉・詮子は国母としての地固めを考えて、源家との縁談を勧めているが、道長自身は乗り気でない。道長には優しい姉だから、彼に心から好きな、契りまで済ませた恋人がいると知れば、プランBやCを考える余地もあったかもしれない。詮子が最も気にかけていた「父が私や懐仁まで手にかける恐れ」は当面なくなっている。

まひろにはまだ辛うじて、北の方として迎えられて高階貴子のようになれる道筋が残されていた。史実的にはもとからそれも無理だったかもしれないが、このドラマでは可能性を匂わせる描き方をされている。

が…。
兼家はまひろの必死の訴えに対して「一度背いた者に情けをかけることもせぬ」と一蹴して、まひろを帰らせる。既に多くの人が指摘しているが、まひろの言い方も青くささ丸出しで、兼家ならずとも良い気がしないだろう。

帰宅した道長は、帰ろうと屋敷内を歩くまひろを見かけて

”なぜ、まひろが来ている?俺を振ったのではないのか?”

といった驚きの表情を浮かべ、咄嗟に御簾の後ろに隠れる。
後で兼家に「お客人とは、どなたですか?」と聞くと、父は「虫けらが迷い込んだだけじゃ。」と、憮然とした表情で答える。

これを聞いた道長は、「まひろを嫡妻に迎えたい」とはとても言い出せない事態になっていると悟ったのだろう。無理に嫡妻にしても、かえって針のむしろに置くことになってしまいかねない。

まひろが倫子の制止を聞いて、兼家への直談判を控えていたらこのような展開にはならなかった。まひろは、父や家族のことを想って焦るあまり、自らが幸せになれる最後のルートまで閉ざしてしまった。それは”検非違使に余計な心づけをした結果、散楽一座を死なせてしまった”道長の失敗と対応している。

もっとも、ここでまひろが思慮深さを見せたとしても、道は開けなかった可能性が高い。道長が自分の意志を表明して、詮子が加勢した場合でも兼家は「為時の娘はダメだ、高階とはわけが違う。あれは事の大きさを理解できていない。」とはねつけるだろうから、為時の失敗でもある。

”妾”アレルギー

その後為時宅に藤原宣孝が来て、まひろに婿取りを勧める場面や、働いていた下人3名が退職して、いとと乙丸だけが残る場面、まひろが家事に勤しむ場面が描かれる。

並行して、「妾」の立場の不安定さ、惨めさがいくつかのエピソードで説明される。

(1)藤原道綱母による兼家へのクレームと、出世など全く意に介さない道綱

(2)為時が看病する、死期が近い妾(高倉の女)の姿&いとの静かな苛立ち

(3)サロン土御門において「古今和歌集」掲載の

君や来む我や行かむのいさよひに
まきの板戸もささず寝にけり

が取り上げられ、まひろは「寝てしまったことにしないと自分がみじめになってしまうから」と解釈して、茅子やしをりも腑に落ちた表情をする

など。(1)はまひろに直接関わっていないが、もともと妾になることに気乗りしないまひろにとって、「妾」という身分制度は、もはやアレルギーに近いものになっていた。

それでもまひろは、道長から送られた和歌を見返す。道長も同じように、まひろから送られた漢詩を見返す。

叱ってくれる兄貴

道長が為時邸を訪れると、まひろが庭で蕪を洗っていて、陽光で池の水面がキラリと輝く。

乙丸に言付けを頼もうとしたところ

「若君、もういい加減にしてくださいませ!」

と強くたしなめられる。

最初見た時はびっくりしたが、SNSでは「よくぞ言ってくれた!」と讃える声にあふれていた。賢く家族思いで働き者のまひろが、道長のことになると途端に「恋する乙女モード」のスイッチが入って周囲が見えなくなってしまうと、乙丸はよく知っている。家に余裕があった頃ならばまだしも、かつかつの暮らしになった以上、もう姫さまを翻弄しないでほしいという切実な思いがにじみ出ている。

本来、下人が貴族に対して叱責することなどありえない。しかし乙丸は、道長に「言えば聞いてくれる人」という信頼を置いているからこそ、叱ることができたのだろう。

乙丸は内心迷惑に思いつつ、それでもまひろに伝言を取り次ぐから、本当に”姫さま思いの心優しい兄貴”である。道綱との対比にもなっているだろうか。

決裂

まひろは家事を放り出し、いつもの廃屋に一直線。待っていた道長から「妻になってくれ」と、改めてプロポーズを受ける。

「北の方にしてくれるってこと?」…無言
「妾になれってこと?」…「そうだ」

道長からしたら、最大限の譲歩と、まひろに対する精一杯の心づかいだろう。しかし「妾アレルギー」のまひろには、とても受け入れられる話ではない。

「北の方は無理だ。されど俺の心の中では、お前が一番だ」
「心の中で一番でも、いつかは北の方が…耐えられない!」
「ならばどうしろと言うのだ!」

かくて二人は最終的に決裂する。

この場面について、「まひろは道長から離れるべく、『竹取物語』のかぐや姫にならって、あえて”北の方”という無理難題を言った」という見解を取る人が案外多い。

そのように考えられる人は、ラブストーリーのドラマやコミックをたくさん見てきて、目の肥えた大人の識見をお持ちなのだろう。

一方、普段ドラマを見る習慣を持っていないうぶで幼稚な私は、兼家に直訴して自爆した時と同様、まひろの若さと青さが露呈して、取り返しのつかない失敗を重ねた瞬間と受け止めた。

「俺の心の中ではお前が一番」的なセリフは、現代劇では不倫を平気でやる罪作りな男の常套句というが、それは一夫一妻制が定着して、憲法で人権と平等が保障された現代だからこそ言えること。平安時代は全く異なる社会規範の下で世の中が動いている。そこを勘案すれば、また違ったニュアンスが見えてくる。

まひろは恋の炎が上がり始めるとたちまち視野が狭くなる癖を有している。メタ認知ができるほど賢く、家族思いで優しく、和歌や漢籍の知識に優れているとはいえ、まだ10代半ば。自分の恋愛における動物的感覚を自らコントロールできるレベルには達していない。道長を試すように誘導する心の余裕など持ち合わせていなかっただろう。

まひろは”高階貴子”にはなれない。身分以上に、人間的な格の違いを痛感させられる回であった。

まひろは赤染衛門コースを進んでいく。この苦い失敗をやがて『源氏物語』の核として、幾人かの登場人物に分散投影させつつ、物語を綴っていくのだろう。

人間は、たとえ取り返しのつかない失敗をしても、いつかはそれを受け入れて、先に進めていかなければならない。まひろは道長に送った漢詩の意図するところが、自分にもまた当てはまるものと気づく時が、いずれ来るのだろう。

悟已往之不諫
知来者之可追

過ぎ去ったことは悔やんでも仕方がない。
これからのことはいかようにもなる。

實迷途其未遠
覚今是而昨非

道を踏み迷ってもまだそれほど遠くへは来ていない。
今の生活が正しく、昔が間違っていたことにようやく気づいた。

伏線万華鏡

大石先生がどこまで意図していたか知るよしもないが、以前の回で描かれたいくつかのエピソードのうち、いずれを伏線とみなすかにより、視聴者の印象が正反対なほどに変わるあたりがまた面白い。

まひろは、道長への思いを断ち切るためにあえて無理難題を言ってみたと解釈する人は、第4回のサロン土御門で取り上げられた『竹取物語』、第7回打毬の後の藤原公任たちの野放図な話しぶり、そして今回の宣孝との話を伏線とみなす。

まひろは、自分の恋に夢中になるあまり周囲を見失い、気づかないまま失敗したと解釈する人は、第10回の漢詩と今回の兼家への直訴、そしてサロン土御門「君や来む…」の和歌を伏線とみなす。

まるで万華鏡のような脚本。中盤以降もこの調子で進められていくのだろうか。

嫡妻のいばら道

今回は、たとえ念願かなって嫡妻の地位を得てもなお、夫のふるまいに苛まれるいばら道が待ち構えている、その入口まで描かれた。

赤染衛門先生の講義の後、倫子は席を立とうとするまひろを呼び止めて、少し話をする。

「なぜ倫子さまは、婿を取られないのですか?」

と聞くまひろに

「私、今狙っている人がいるの。」

「それはどなたでございますか?」

「言えない!…でも、必ず夫にします。この家の婿にします。」

「それは楽しみでございますね!」

ようやく表情をほころばせるまひろと、彼女を気遣う倫子。明るくキャッキャウフフする二人に、史実を知る現代の視聴者は「地獄落ち予感のガールズトーク!」と色めき立っていた。

答えを明かされた途端、まひろは目の前が真っ暗になるだろう。一方倫子は、夫に迎える人物がまひろと既に契りを交わし、のみならず穢れさえも乗り越えて、非業の死を遂げた友人の埋葬を共に行っているなど、知る由もない。たとえ嫡妻であろうとも、生涯追いつけないほどの深いつながりができている…。

温かな両親と小麻呂のもと、挫折知らずに育ったお嬢さまがそれに気づいたら、どれほどのショックを受けてしまうか。私は今から心を痛めている。

このガールズトークは「たとえ嫡妻であっても、現状の社会構造ではよほどの強運の持ち主でないと満たされない」ことを表す伏線として作られたのだろう。倫子にはまず、源明子とのさや当てが待っている。それを乗り越えたと思ったところで、まひろの秘密が明かされるのだろうか?

まひろはやがて、妾でも北の方でも結局は同じことと痛感して、若き日のわがままを恥じ入るだろう。倫子はやがて自分の娘の教育係として、まひろを女房に採用する。すなわち、関係の結び直しを行う。今はまひろの先生の赤染衛門とも、職場の先輩後輩として新たな関係が構築される。

「光る君へ」は、人間関係の破綻と再生も描こうとしているのかもしれない。まひろと道長のみならず、まひろと為時、道長と直秀、道長と道兼、まひろと倫子…後半では「紫式部日記」で有名な清少納言批判がもとで、ききょうと諍いを起こして、それを修復していく場面も取り上げるだろうか。一度壊れた人間関係を新たに組み直していく過程も、今後のテーマになりそうな気配を感じる。

圓教寺

懐仁親王の即位の儀が行われている頃、花山院は無念の表情を滲ませながら、ひたすら読経していた。やがて数珠が切れて、北斗七星の形に散らばる。ナレーションで、花山院は播磨の書写山圓教寺に旅立ったと説明された。

現代の姫路市であるが、もちろんあの城は当時存在していない。どんな風景だったのだろう。西側に手柄山と書写山の丘が張り出す市川・夢前川に挟まれた平野で、耕作地の合間に小さな集落があり、南の飾磨津には瀬戸内を往来する、塩などを積んだ船が頻繁に立ち寄っていただろうか。

圓教寺のホームページによれば、花山院は5日かけて書写山に到着して性空上人に会い、1泊で帰っていったという。取り急ぎのメンタルケアを求めただろうか。「圓教寺」の名も、この時の縁で花山院から賜ったものという。性空上人は橘家の出身ながら若くして出家、世俗から離れ仏道修行を極めた人という。花山院は在位中からその評判を聞き及んでいたのだろう。

兵庫県立歴史博物館ホームページに掲載されている性空上人の伝説を読むと、ドラマの道長と直秀をちょっと連想させるくだりもあり、新たな発見に感心している。

子役定子さま

第11回では、藤原定子の子役が登場した。兄・伊周が尊大な態度を取り、安部晴明が「頼もしいご嫡男」と社交辞令を返した一方、定子は晴明にまっすぐな眼差しを向けていた。晴明はひと目で「賢い御子」と見抜いただろう。

ホームページで子役さんの写真を見た時はあまりピンと来なかったが、SNSでは「可愛い!」「成人役にそっくり!」と大好評で、「#光る君絵」タグでも早速作品がいくつか掲載された。私には人を見る目が備わっていないと、正直に白状しておく。

ファーストサマーウイカさんはNHKホールで開催されたイベントで、「皆さん安心してください、もうすぐ定子さまが出ますよ。定子さま、本当に素敵なんだから!」とアピールしていたと聞く。定子の妹たちは登場しないようだが、『枕草子』の有名エピソードを少しでも取り入れてもらえるだろうかと、小迎裕美子先生ともども期待している。




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