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【光る君へ】第23回「雪の舞うころ」


座長が映ると

今回は久しぶりに、そうイライラせず見られた。制作陣が故意に貶めて描く方針のキャラクターが登場しなかったためだろう。道長の言動もようやくブラック化してきたし。やはり道長には父親以上の「ワル」になってもらわなければ。

越前の松原客館や国府における、宋人や地元の役人たちの思惑の交錯も、それなりに見ごたえがあった。昔の大河ドラマならばメインパート扱いになるところだろう。異文化との出会いや、異国との通商を巡る駆け引きを描くストーリーが長く好まれてきたのは、幕末の「黒船来航」が民族の記憶として残されているゆえとも考えられる。中央政権の歴史とは大きく異なる、地方の歴史にスポットライトをあてる試みも評価したい。

しかし。
座長の吉高さんには失礼ながら、主役が映り、字幕に黄色い文字が現れた途端、画面全体からどうしようもない軽薄感が匂い立ってくる。回を重ねるたびに、紫式部のイメージからの乖離が大きくなる。このごろのまひろは、どこか別の時空からやってきて紫式部になりすまし、歴史をかく乱していくインベーダーのように見える。実際の紫式部は、越前で暮らしていた頃はほとんど外に出なかったと伝えられている。

まひろは、都の貴族階級男性には約1名を除いてほとんど相手にされない一方、それ以外の身分の男性にやたらとモテる人物像になっているが、紫式部は生身の人づきあいがあまり得意ではなかったと想像される。知能は高いが融通が利かず、正論を通したいあまり、言わずもがなのことや皮肉めいたことをぼそっと発言した挙句、わざわざ相手を不愉快な気分にさせて、作らなくてもよい敵をこしらえてしまう傾向があったのではないか。それゆえ、数少ない友人を大切にするスタンスで生きる。内向的求道的で、独自の想像力をもって、静かに周囲の人間観察を行うタイプの人だったのではないか。大石先生お好みの恋愛観とは到底相容れないだろう。

周明の人は初めて見た。吉高さんとは他の現代劇ドラマで共演していたらしいが、そちらの方面には全く関心が向かないので、ファンの熱狂ぶりに目を白黒させるのみである。周明は無理にラブストーリーに絡ませないほうがよいと思う。

下世話な女院、上品な中宮

今回は、東三条院の下世話ぶりを結構長々と描いていた。弟と話していて、「私には妻が二人おりますが、心は違う女を求めております」と聞いた途端目を輝かせて、そいつは一体どのような女なのか聞き出そうとする。

視聴者の笑いを引き出そうとする魂胆なのだろうが、そのミーハー根性が円融帝に嫌われる一因になったのではないか、としか思えない。

続いて、臨月を迎えている中宮と清少納言の場面に移る。心なしかお顔が丸くなられた中宮さまが品よく読み上げていた文章は「うつくしきもの」の一節である。

鶏の雛の、足高に、白うをかしげに、衣短げなるさまして、ひよひよとかしがましく鳴きて、人のしりに立ちてありくも、また親のもとに連れ立ちてありく、見るもうつくし。

『能因本枕草子』第155段「うつくしきもの」より

この段は他に、人間の幼い子供や雀のひなの可愛らしさが描写されていて、後年の童謡にも通じる感性が見て取れる。能因本では「なでしこの花」でしめくくられているが、三巻本ではそこが「瑠璃の壺」となっている。当時貴重品だったガラス製の壺が最後唐突に登場する三巻本より、能因本の記述のほうが自然な流れだろう。

かなふみ「うつくしきもの」

中宮さまと清少納言はまさにはまり役で、たたずまいの説得力がまひろ座長とはまるで違う。二人が登場すると画面に安定感が出る。大石先生の思い入れから解き放たれているがゆえであろう。中宮さまの「そなたを見い出した母上にも、礼を言わねばならぬな」も、よいセリフだった。幼い頃は厳しく育てられ、最後は兄につきっきりだった母親に対しては思うところもあっただろうが、それでも素直に感謝の意を口に出せるあたり、本当に優れたお方だと改めて感じ入る。「少納言」「はい」のやりとりを、もっとたくさん作ってほしかった。”悲田院ラブストーリー”よりもそちらを見たい。

まひろ座長と往年のコントのような扮装をさせられたり、座長の発案で『枕草子』起筆を思いついたりなどの演出は、つくづくもったいない。『枕草子』は教科書にも掲載される作品。見ている子供たちへの影響力を、もっと重く受け止めてほしい。

このごろ「定子さま朗読の『枕草子』音源を出してほしい」というリクエストを各所で見かける。私も大賛成で、誰かに企画書を作っていただきたいが、「にげなきもの、下衆の家に雪の降りたる」や「あさましきもの、刺櫛すりてみがくほどに、物に突き障へて折りたるここち」などを中宮さまに読んでいただくのは、いささか申し訳ない。毒舌系の段はウイカさんにアウトソーシングをお願いしようか。投石されそうなので、このあたりで…。

そのアイデアは墓穴を掘らないか?

中宮が髪を下ろしたため、帝は中宮に会えなくなってしまった。待望の父親にようやくなれるというのに、わが子に会えないもどかしさはいかばかりだろうか。

そんな帝の思いなどはなから無視して、藤原顕光は娘の元子を入内させる。帝が見向きもしないので、源倫子の発案により、帝と元子の語らいの場がセッティングされる。

この流れ、おかしくないだろうか。
帝は中宮しか「妻」と認識していないので事なきを得たが、万が一元子が帝の寵愛を得て、先に皇子を産む事態となったら、顕光が将来の帝の外祖父になる道が開けてしまう。顕光は、かつて兼家と激しく対立していた兼通の子で、貴族社会で「無能」とみなされていたという。賢い倫子が、万が一にも自分の夫から権力が引きはがされ、無能なライバルに渡ってしまうリスクを伴う提案をするとは思えない。この時点における倫子は、帝と中宮の絆の強さをよく理解できる人物ではないだろうか。後に道長が彰子の入内を企てる際は、自分の娘が皇子を産めば、自分たち夫婦の権勢が固まるから賛成したのだろう。

両統迭立

今回は成年の東宮・居貞親王(後の三条天皇)が登場した。妻・娍子(すけこ)との間に、既に皇子(敦明親王)が生まれていて、抱っこしてあやしている。

居貞親王については「道長の、もうひとりの姉の子である」と、簡単にナレーションで説明されて、続いて親王が道長を「叔父上」と呼ぶ場面が放送された。

子役時代にも類似のナレーション説明がなされていたが、親王の母・藤原超子(とうこ)は兼家と時姫の長女で、詮子の実姉でもある。彼女については、第1回で詳しく説明を入れるべきではなかったか。

この時代の皇室は、一条天皇の祖父にあたる村上天皇(在位946-967)を起点にするとわかりやすい。彼の皇子のうち2人が即位している。

第二皇子・憲平親王→冷泉天皇(在位967-969)
第七皇子・守平親王→円融天皇(在位969-984)

いずれも母は藤原安子。

冷泉天皇は4人の皇子をもうけた。うち2人が即位している。

第一皇子・師貞親王→花山天皇(在位984-986)
母・藤原懐子
第二皇子・居貞親王→三条天皇(在位1011-1016)
母・藤原超子
すなわち花山院と居貞親王は異母兄弟である。

超子は第三皇子・為尊親王、第四皇子・敦道親王の母でもある。

対して円融天皇の子は懐仁親王(一条天皇)ひとりのみである。

この時代、冷泉系と円融系の皇子が交互に皇位を継いでいて、13~14世紀の持明院統・大覚寺統と同じような「両統迭立」の形になっていたが、子孫を残す力は冷泉系のほうが圧倒的に強かった。円融系側は、一条天皇に皇子が生まれない限り廃絶する恐れがあった。

兼家は当初、長女を入内させて皇子(居貞親王)が生まれた冷泉系を優遇していたが、後に次女が皇子(懐仁親王)を産むと、身内の権力闘争の都合上、円融系推しに乗り換えたという経緯がある。超子が早く亡くなったことも影響しているだろう。それゆえ、一条天皇の後の皇統が冷泉系に戻り、そこで固定されると藤原摂関家の権威が失墜してしまう。冷泉院の精神障害・花山院の度を越した好色伝説は、円融系が正統な皇統と主張するために流されたデマとする説もある。

この点について放送画面上明確に説明しないと、詮子の人物像がぼやけてしまい、国母として権勢をふるう立場でありながら、単なるミーハーで、完璧な嫁に嫉妬する下世話なおばさんにしか見えなくなってしまう。

超子役をキャスティングしないのならば、第1回で入内を控えた詮子が時姫に「先の帝には、気の病がおありとか…私は、姉上のようになりたくはございませぬ」と不安な心情を吐露しつつ、姉の存在を視聴者に知らしめる場面を作ってほしかった。その意味で、第1回の詮子は子役というか、少女期役を配するほうがよかったと思う。あのような味わいを出せる若手を探し出せなかったのだろうか。

ドラマではこの後、和泉式部も登場する予定と聞き及んでいる。前述の為尊親王と敦道親王の兄弟は、いずれも彼女とつきあっていたとされる。和泉式部登場の際にも、彼女がかつて交際していた親王たちの母として、超子についてナレーション説明を入れるのではなかろうか。

自己陶酔するあまり

前述の「両統迭立状態において、一条帝に皇子が生まれないと円融系が断絶して、皇統は冷泉系に固定される。それは藤原摂関家の権勢にも直接影響する。」という事情を先にはっきり説明しておけば、道隆の糖尿病が悪化した際のマタハラ発言(第17回)もだいぶ印象が違っていただろう。(伊周の同種発言は、失礼ながら三浦さんの勇み足に近い。)

一条帝は現代人と同じように、ただひとりの妻を終生誠実に愛そうとした賢帝だったが、当時はその生き方が許される時代ではなかった。両統迭立の継続は母詮子・叔父道長の生命線であり、帝は二人の権勢欲に飲み込まれる形で不本意な選択を強いられた…という描き方をするべきだが、このドラマでは道長方を主役にしているため、一条帝はわがままな帝、中宮は”傾国の美女”扱いになってしまう。それは倒錯していると、改めて申し上げたい。

このドラマは「紫式部と道長は、幼なじみの恋仲」という設定に自己陶酔するあまり、登場人物に必要な説明をおろそかにするきらいがある。以前にも指摘したが、史上初めて平安中期を題材に取ることの意義と、それに伴い発生する責任を軽く考えすぎていないだろうか。実在した人物よりも、直秀のようなオリジナルキャラクターのほうが血が通って見えてしまうのも、それゆえであろう。

※今回もYUKARIさんの画像を使いました。いつもありがとうございます。





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