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忘れがたきうどん店(13) 上戸うどん



西端の駅とうどん店

JR予讃線箕浦駅は下り(松山・宇和島方面)において香川県最後の駅、すなわち県最西端の駅である。現在は観音寺市に編入されているが、かつては三豊郡豊浜町に属していた。無人駅である。

国鉄の頃、四国総局では駅員配置駅と無人駅が明確に区別されていた。無人駅は北海道などの仮乗降場に近い扱いで、駅名標下部の隣駅表示も( )つきで小さく表示されていた。朝夕の一部の列車しか停車しない、普通列車でも編成の長い客車列車は通過する、北星(名寄市)や学田(富良野市)のように線路脇に板を並べたのみの簡素なホームしか設けられていないなど、結構露骨に差別されていた。

高松駅(1984年3月)松山駅(1985年3月)の駅名標。
無人駅の香西、市坪は( )つきで隅に表示、
駅員配置駅の鬼無、北伊予を隣駅としていた。

箕浦はもともと駅員配置駅で、本格的な駅舎が作られていたが、四国総局管内ではかなり早い段階(1971年)に無人化された。それでも列車交換設備を有するためか、上記の差別は免れていた。しかし駅施設を空っぽにしておくのはもったいないと当局は考えたのだろう。

手元にある1984年6月発行の鉄道写真集(同年1~2月取材)によれば、駅構内に「かな泉」が出店していると記されている。かな泉は1949年高松市で創業した製麺メーカーで、やがてうどん店を県内に展開、さぬきうどんチェーン店の嚆矢となった。Wikipediaの「箕浦駅」を参照すると、かな泉の出店は1977年10月という。かな泉は一時期関西・中国地方にも支店を出していたというが、経営不振により2012年に営業を終えた。現在の香川県内個人経営うどん店の店主には、かつてかな泉で修行したという人が幾人かいる。

全国の鉄道駅舎を紹介するサイト「さいきの駅舎訪問」によれば、上記写真集取材直後にあたる1984年11月に旧駅舎に代わり、使用済の貨車を改装した簡易駅舎が据え付けられたという。この手法はほぼ全国で見られる。鉄道愛好者の間では「ダルマ駅舎」(貨車の車輪や車軸が外されたことを、手足がないダルマになぞらえる)と呼び習わされている。この時新たにうどん店舗物件が建てられて、駅舎スペースと分離されたと考えられる。土地も国鉄から正式に譲渡されたのだろうか。

箕浦駅(2023年7月)

現駅舎は当初薄茶色に塗られていたようだが、今は濃緑色に黄色の帯。潮風にさらされた錆を抱えつつ、瀬戸内海の渚に向かってたたずんでいる。海との間には国道11号線。交通量がかなり多く、かな泉時代は通りかかるドライバーの間で人気の店だったという。

かな泉箕浦駅店がいつ撤退したかについては情報が得られなかったが、後に個人経営の「上戸(じょうと)うどん」として衣替えした。ダルマ駅舎と仲よく並んでいる。

上戸うどん(左)と箕浦駅。
右の駐車場はかつて貨物取扱施設があった土地と推定される。

上戸うどんになってからも変遷がある。先代の店主はこのあたりの名物的な人で、とにかく太い麺を打ち、いりこのたっぷりきいただしを作っていたという。その豪快さに「県西端の海辺のうどん屋」というロケーションが加わり、ファンがたくさんついていたと伝わる。

しかし先代店主は病のため数年前に引退、今は若い人が新たな店主になっている。「味が落ちた」「感動が薄れた」など情け容赦ないコメントもよく見かけるが、それと同じ熱量で山奥店の不祥事を起こした若店主を批判しないのは、やはり”フラッグシップ・バイアス”が存在する証拠だろう。

箕浦駅に初めて降りる私にとっては、今の若店主の作るうどんがすなわち上戸うどん。どんな出会いになるだろうか。

日本一のいりこ

上戸うどんは朝6時から営業している。国道を通るトラックドライバーへの朝食提供も見込んでいるのだろう。先代店主時代は木曜・日曜が定休日で、店主が体調を崩してからは臨時休業も頻繁にあったようだが、今の店主は毎日営業でがんばっている。私は前夜観音寺市内に宿泊して、観音寺6時03分始発伊予西条行きでアプローチした。箕浦には6時12分着。

営業日案内も修正された

海に向かって大きな看板。側面には「燧(ひうち)のいりこは日本一」というキャッチコピーが記されている。

愛媛県側から運転してきた人は「讃岐入り」を実感するだろう

目の前にある海は「燧灘」と名付けられている。簡単に言えば四国の北側の凹みをなす海である。沖合にある伊吹島こそが讃岐うどんだしの特徴をなすイリコの原料、カタクチイワシ漁の中心地である。カタクチイワシは鮮度がすぐに落ちるため、伊吹島漁協では水揚げされ次第ただちに煮干しに加工、イリコとして出荷している。

海に向いたテーブルで

入店すると店主がひとりで作業していた。すなわちセルフ店である。飲食スペースは広々としていて、海水浴場脇の民宿食堂を思い起こす。国道及び海側にも予讃線側にも大きな窓があって採光十分、窓辺にカウンター席がめぐらされている。よいふんいき。真ん中には広いテーブル席もある。

”トレインビュー”席。
箕浦では列車行き違いがあるので、時間帯によっては2本見られる。

天井近くにはサイン色紙コーナーもある。私が来店した数日後に「うどんタクシー」が取材に来て、新人運転手さんが初めてサインを書いたとYou Tubeチャンネルで報告していた。

地元放送局アナウンサーやレポーターのサインが多い。
日付を見ると先代店主からそのまま受け継いでいるとわかる。

メニューはかけ(温・冷)とぶっかけ。1玉~3玉から選択できる。この日は冷かけを頼んだので店主がだしをかけてくれたが、温の場合は松下製麺所と同様、備え付けのテボに麺を入れてお湯でゆがき、タンク蛇口からだしを注ぐ方式である。

温かけ用の水槽とだしタンク

だしタンクに隣接してトッピングコーナーがあり、取ったものを店主が見てその場で計算、食べる前に代金を支払う。ネギ、ショウガ、天かすは無料。セルフでお好みの量を取る。

このお店に来たら

♪ 薄く切った揚げひとつイリコだしに浮かべて
海に向いたテラスで麺だけすするよ

をやってみたかった。東貴博さんが歌うパロディソング「冷麺で恋をして」みたいで恐縮だが。しかし朝早く来たせいか、おあげは欠品していた。残念だが、この日はもう一軒行く予定なので気を取り直してかけうどんのみとする。海に向いたカウンター席に座った。うどんタクシーの運転手さんはこの席でサインを書いたという。

おあげなし…ちょっぴり心残り

先代店主の麺よりいくらか細くなったという噂だが、それでもこの太さ。

冷かけうどん 小

もちろんコシは十分、しかし硬さはない。高松市の麦蔵とはまた違う豪快な麺である。だしはイリコ味が強く、関東人など慣れていない人には癖が強いかもという噂を聞いていたが、それほど気にならず、ふと気がついたら食べ終わる直前だった。温を頼んだらもう少しイリコ風味を感じられたかもしれない。

いかにも海辺と言う感じの、潮風を思わせる一杯だった。十分満足、ごちそうさまでした。
広々とした空間なので、お天気のよい日は屋外テラス席を用意したらおしゃれかもしれない。

渚のさぬきうどん

店を出ると幟の先に伊吹島が見えた。

朝の風がまぶしい

次の列車で箕浦を後にする。行き違いの松山行き普通電車が入線してきた。

ホーロー板は潮風でさびついている
6時43分発松山行き 行き違いで9分停車する

今の店主にとって先代店主は大きな壁であり、プレッシャーかもしれない。しかしこれからのさぬきうどん界を担う貴重な若い人材である。先代をひいきしていた常連さんには物足りないかもしれないが、長い目で応援していきたい。


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