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ベンジャロン焼の魔力《エッセイ》

 十日ほどかけてホラーを頑張って書いていたのだけれど、とうとう諦めてエッセイを書くことにした。映像ならまだしも、文章で恐怖感を与えるようなものを書くのは本当に難しくて、今まで私が読んだ中でも「残穢(ざんえ)」くらいしか夜眠れなくなるほど怖い思いをした小説はない。相当腕がないと無理なんだなぁとつくづく思って諦めた。

 形にはならなかったけれど、副産物?が出てきて気持ちは今そちらへ向いている。

 しまい込んであった、初めてタイへ旅行した時のお土産に買ったベンジャロン焼きのカップ&ソーサーを引っ張り出してきたのだ。今はメルカリなんかで安く出品されているから値打ちも無いに等しいのかもしれないけれど、タイに行った時の思い出の品だから私にとっては大切な品だ。

 けれど、よく四客も持って帰ってきたものだと思う。かさ高いし重いし、他にも買い物をしたはずだから、多分持って帰るときは必死だったんだろうと思う。それに、結構お高かった記憶があるのに、何にも考えずにホイホイと買ったのだなぁと思うと何とも言えない気分になったりする。

 しかも、タイ王室御用達の焼き物というだけあって、キンキラキンなのだ。ゴージャスなソファーにクリスタルのシャンデリアがあるようなお家でムートンのスリッパでも履いて、ざーます言葉でも使いながらコーヒーをいただくようなシチュエーションでないと映えない。

 相当にバブリーなのである。

 私の家は六割ほど和風に作られているから、タイ王室御用達のカップは似合わないのだ。まぁ、インテリアとしてならオーケーなのかもしれないけれど、普段使いに下ろしてしまおうか今すごく悩んでいる。

 ここまでキンキラキンの食器というのは、タイのキンキラキンの寺院だとか街並みに実際に行って、気持ちが侵食されなければ買わないだろうと思う。まさにホラーだ。かと言って、メルカリなんかに出品するのは大事な思い出を売りさばくみたいで気が進まない。

 お座敷にキンキラキンの洋食器。似合わないにもほどがある。

 誰の小説だったか、インテリアが得意な奥さんが、夫の雰囲気に合わせたインテリアで見事に作り上げた洋室に招かれた社長だったかが一枚の絵を持ってきたのをきっかけに、その奥さんがその絵に合うインテリアに作り替えていったら夫が浮き上がるので、最後は夫を殺してしまうという話があったけれど、(あれ、星新一だったかなぁ?)今私はそんな気分である。

 夫の好みを反映して建てた家だったけれど、このキンキラキンのカップに合わせてインテリアを変えていったら夫だけが浮き上がるので始末しちゃいたくなるという、そんな変な気分にさせてくれる妙な魔力を持ったカップ&ソーサーなのだ。

 先日、丹波焼の和食器のエッセイを書いたところだけれど、ホラーを書くよりショートショートを地で行くのがいいのかもしれないし、和食器なら夫を始末しなくても済むんだみたいな納得感がすっぽりとはまる家に住んでいる私は、早くこのキンキラキンのベンジャロン焼のカップ&ソーサーを始末するほうが安全なのかもしれないと思ったりする。

 なんと危険な香りのする食器なのだろう。
 惚れ惚れと眺めてしまう。
 つい、あのショートショートみたいな展開になったりしそうで、魔力を持つ食器なのだろうなぁと妙に感慨深い私である。

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