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母の死生観を作ったもの

先日、久しぶりに実家の母と二人っきりで話す機会があった。

「お母さんも来年70やよ、嫌になるわぁ。」

母ももう、そんな年になるのか。

「お母さん、もう健康診断5年くらい受けてないんや」
「え?なんで?」
「なんか見つかったら治療せんなんやろ。もう、治療なんかせんでもいいわね。治療して長生きしたいとは思っとらんの。痛いの嫌やから、痛み止めは欲しいけどね。」
「手術とか入院は嫌ってこと?」
「うん。」
「ふーん…。そう。お母さんがそれがいいって言うなら。」

薄情な娘だと思われるかもしれないが、母からこの話を聞いたとき、「いや、治療はしようよ」などとは私には言えなかった。
言えなかったというか、言わなかった。
本心で、母がそういう考え方でいるのであれば、それが一番いいと思ったから。

思うに母は、「人生でやりたいことはもうやったから、十分だ」と達観しているのかなぁと。
今さらあがいて長生きしてもしかたないかな、なんていう考えなのかなぁ。
(本人に聞いたわけじゃないけど)

母の人生だ。
どのような最期を迎えるのかは母が決めるべきで、娘の私がとやかく言うものじゃないと思っている。


母の死生観を聞いたとき、母はなぜこのような考え方になったのだろうか、と私なりに考えてみた。

母の仕事が大きく影響している気がするのだ。

母は結婚してから、現在までずっと、和楽器専門店で働いている。
お琴とか、三味線を扱う店だ。

お客さんは和楽器を習っている"お弟子さん"と言われる人たちはもちろん、その"先生"も多くいらっしゃる。

最近では若い"先生"も活躍しているが、多くは年配の方ばかりだ。
母は、30代のころから、30~50歳ほども離れた"先生方"と接してきた。

お琴の先生と言うのはいろいろいらっしゃるが、その多くが女性で、先生業を生業としている。
"先生"のトップの方になると、奥さんが稼ぎ頭と言う例も珍しくない。
(旦那さんが「主夫」になるようなケース)
結婚せずに、生涯独身と言う方もおられる。

お琴の先生というのは、「定年」がない。
だから、80代でも90代でも続けられる。

生徒は大学生から社会人、主婦の方までさまざまで、教室にはいろいろな人が出入りしている。
年代の違う様々な"お弟子さん"を教える先生は、まずボケることはない。
お弟子さんからも刺激を受けているだろうと思うし、"先生"である自分を常に律しているからだと思う。

お店に来られる先生方を、私もよく目にすることがあったが、いつもシャンとしてらっしゃる印象だった。


そんな先生方と接するうちに、母は母なりに「老いの生き方」について考えていたのではないかと思うのだ。

私が大学生の時に、両親は離婚している。
あれから現在まで、母はずっと独身だ。

誰にも頼ることなく、すべて自分で決めて生きてきた。
まじめに働いて、住む場所も買って。
「老後の資金は大丈夫やから。リコに迷惑はかけん」と言っている。

我が母ながら、"しっかりしている"と思う。

これもまた、お琴の先生方を見てきているからなのかなぁと思っている。

一つの道を、独りで、進んでいく強さ。
もちろん、時には誰かに助けを求めることもあるとは思うが、最後はすべて自分で考えて、自分で選んできたのだろう。

そんな"かっこいい先輩"の姿を、母はずっと見てきたんだろうと思う。

「そんな風に生きたい、老いていきたい」いつしか、そう思うようになったんじゃないかと想像している。


私もまた、そんな先生方や母の影響を受けているのかもしれない。
私のモットーは「"やる"か"やらない”か、迷ったときは"やる」
「やらずに後悔するより、やって後悔したい」。

人生はたった一度きり。
私も、悔いのないように生きていきたいと思う。

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