見出し画像

小1息子、支援級にお邪魔している

9月からまた始まった、息子の登校渋り。
無理に行かせるのも辛くなり、午後から登校させていたのだが、それも難しくなり、5時間目だけ登校、さらには終わりの会だけ登校という感じになっていった。

「お母さんが居たら学校に行ける」と言われ、半日学校に一緒にいた日もあった。でも、それでは私の仕事ができない。
上司からも、「これだけ休みが多いと、ちょっと困ります。」と言われてしまった。

「これ以上、息子の学校に付き合うのは無理」と判断した私は、次の日から息子を休ませることにした。

1日休み、2日休み。学童ももちろん休み。
家に居ても私は仕事をしているので、息子は本を読んだりレゴで遊んだり、テレビを見て過ごしている。
仕事中の私にももちろん話しかけてくる息子。
「仕事中だから。集中できないから、やめて。」と言って聞く相手ではない。

「暇だーーー!」と叫ぶ息子に、「だったら学校か学童行ったら?」と言ってみるが、「お母さんと一緒じゃないと嫌だ!」と返ってくる。


こんな日がこれから先も続くんだろうな…と思って、学校に「しばらく休むと思うので、給食を止めたいです」と申し出た。
それが、休み始めて3日目の午前中のこと。

午後、担任の先生から電話がかかってきた。
「教頭先生が教育委員会にかけあってくださって、年度の途中でも支援級にお試しで入っても良いですと許可が出ました。」

支援級に入りたいという希望は、7月から出していたのだが、「年度の途中は無理」と断られていた。しかも、病院の診断書もまだない。
ところが。「学校に来れなくなるくらいの状態なんです」と教頭先生がかけあってくれたことで、支援級への道が開けたのだ。


翌週、息子と一緒に支援級に登校。
1時間だけ、支援級の先生とマンツーマンで授業を受けさせてもらった。

「カルタをしてみよう。文字は読めるかな?」
「この紙に大きく丸を描いてみて」
「このブロックを好きな風に並べてみて」

先生は、息子にいろいろなことをさせて「どこまで理解しているか、どんな子なのか」を見ようとしている様子。

息子)オウムガイ!生きた化石や。
先生)そう!よく知ってるね~。なんでそんなこと知ってるの?
私)"サバイバル"シリーズとかの本が好きなので、そこから知ったのかと思います。
先生)そっか。記憶力は良さそうだね。

先生に「三角を書いて」と言われ、線ではなく点を打つ息子。
先生)点から書くか。なるほど~。賢いね。

ブロックを並べる息子。
はじめは色別に。次は互い違いに。最後は積み木のように積み上げ始める。

先生)独創的やね。自分でいろいろ考えて、やってみたいんやね。そりゃ、「みんなと一緒なことやりましょう」は辛いやろうね。

数分、息子の話すこと、やることを見ただけで、先生は息子の特性をざっと理解してくれた。


翌日、同じように支援級に登校する息子。
「お母さんは離れようか」と言われて離れても、息子は追ってくることはなかった。

「帰りたくなったら先生に言う」と言って、息子が帰りたいと思ったらお迎えコールをしてもらう手はずになった。

1時間が経ち、2時間が経ち、昼食の時間を過ぎてもお迎えコールはない。
「大丈夫なのか」と気になって、学校に電話してみた。
電話に出た教頭先生は「息子さん、めちゃくちゃなじんでましたよ。もう一人の男の子と一緒に、工作してました。波長が合うんですかね、二人とも、それぞれの作業しながら楽しそうにしてましたよ。」と話してくれた。


5限目の終わりに合わせて、学校に向かった。
教室ではちょうど、終わりの会の最中だった。

2年生の女の子が「終わりの会をはじめます!」と喋っている横で、息子はちゃんと座っていた。
普通級では、私が横にいないと座っていられなかった息子。

その姿を見たら、自然と涙がこぼれてきた。
息子の居場所は、ここだったのかもしれない。

私を見つけた息子が駆け寄ってくる。
「お母さん!あれ?なんで泣いとるん?」
「お母さん、嬉しいからや」


これが2日前のこと。
今日は頑張って8時半に登校してみたのだが、息子には時間が早すぎたのか「お母さん、行かんといて」とごねられた。

支援級は嫌いじゃないみたいだが、まだまだスッと行けない日もあるようだ。ただ一歩、前進したことは間違いない。

まだまだ悩む日々だけど、息子にとって(私にとっても)よりよく過ごせるようになれば、と思っている。

この記事が参加している募集

子どもの成長記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?