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命の価値

※注意:動物の死についての内容が含まれます。











住んでいるアパートの階段には夏から虫がいた。
それがいつの間にか死んでいた。
10月になっても彼の死体はずっと階段の隅に放置されたままだった。この前見た道路の猫の死体は1日で血の跡もなかった。
命の価値の違いを改めて知った。

猫は大多数が好きな動物
虫は大多数が苦手な動物

猫の死体は「かわいそう」で片付けられたんだろうけど虫の死体は「気持ち悪い」で誰にも片付けられていなかった。
ゴミ出しのついでに階段の隅に居た彼を誰も使わなくなった公園に埋めてあげた。ちゃんと埋葬はできなかった。ただ近隣の住民が毎朝仕事行く際に「気持ち悪い」と思わないように片付けたに過ぎない。

エゴだ。

猫も虫も死にたくて死んだわけではなかったと思う。死に場所を選んで死んでいったわけでもなかっただろう。食べ物を求めながら苦しみながら逝ったのかな。
人間のエゴで彼らの命の価値を決め付ける。人間の死体は国葬までする価値があるというのに。

SDGsの2には「貧困をゼロ」、10には「人や国の不平等をなくそう」とある。それは人間だけに適応されている目標だ。
ここで既に人間と猫、虫などの命の価値が違う。
「貧困をゼロ」にするためには最悪、猫や虫でさえ私たち人間は食べざるを得ない。猫や虫に生まれていたら私も命の価値を人間のエゴによって決められる存在になっていた。

やっぱりこの世は弱肉強食だ。

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もやしの亮 様
https://note.com/office_kumasaka