I am a father.
子どもが生まれて10年。
ようやくわかってきたことがある。
それは、父親という存在にとって「子どもと過ごす時間」こそ、何よりも大切で尊い時間だということ。
父親は自分で出産を経験しない。
だからこそ、子どもと過ごす時間の中で少しずつ父親になる。
僕は20代、そんじょそこらのやつには負けないくらい仕事をした。
週に何度も徹夜し、先輩経営者と朝まで酒を飲んだ。
先輩経営者には家族がいる方も多かったが、当時の風潮はやっぱり「男は仕事してなんぼ」の世界だった。
そして、高い車に乗り、高級時計をつけ、中洲で飲み歩く。
一本何万円というシャンパンを開け、アフターでお姉さんを高い寿司屋やバーに連れていく。
そして、ホテルに誘って、うまいこと断られる。そこはお姉さんの方が役者が上だった。
何度もそんな光景を見てきた。
事業を興す。金を稼ぐ。
そして、家族には生活に十分すぎるほどの金を渡す。
その責任を果たせば、それでOK。
あとは、自分のやりたい放題、好きに生きる。
「男の成功とはそういうものだ」みたいなことを教えられていた気がした。
実際、僕もそんな風に生きることが「成功」なんだろうとぼんやり思っていた。
でも、実際には、僕の場合、その概念を覆す大きな出来事があった。
ふたごの子どもがとても小さく、生きるか死ぬかの特殊な状態で生まれてきたのだ。
今にも消えそうな生命の灯火。
毎日、毎日が試練だった。
今日も生きてくれた。
明日はどうだ。
その繰り返しだった。
心臓の手術、目の手術。
次から次にやってくる困難。
そんな状況で否が応でも気付かされた。
この子たちの成長をしっかり見ていきたい。
同じ時間を過ごしたい。
そう思うようになった。
そして、幼い頃からの社長になるという夢、子どもとともに歩むという生き方。
その両方を実現するために、独立・起業という道を選んだ。
その結果、毎日おむつを変え、お風呂に入れたり、保育園の送り迎えをするようになった。
その激務を自ら体験し、たった1人で育児をしてきた奥さんへのリスペクトの気持ちが自然と芽生えた。
そのころからだろうか。
仕事のストレスを抱える僕と育児のストレスを抱える奥さんとの毎日のように勃発していた夫婦喧嘩もめっきりなくなった。
今、振り返ってみると、僕は独立以降、世のお父さんより圧倒的に長い時間を、子どもと過ごしてきたんだと思う。
もし、この時間が無かったら、僕の人生はもっと殺伐としていたに違いない。
子どもたちが与えてくれる喜びは、仕事で得るお金や地位や名誉なんて比べ物にならない価値がある。
今でも家族と過ごす時間よりも仕事を優先している人。それが父親の責任と信じている人。それが家族を守ることだと誰かに吹き込まれ、思い込んでいる人。
もし、そんな人がいたらどうか視点を変えて欲しい。
お金は「そこ」にいないと稼げませんか?
家族と過ごす時間を確保できる職場に転職するもよし、転職によって収入が下がるなら副業してもよし、奥さんと2人でミニマムなビジネスを立ち上げるもよし、方法なんて無限にある。
「そんなの無理だ」「現実的じゃない」「俺にはできない」なんて言うのは思考停止以外の何物でもない。
実際、そうやって新しい生き方をしてる人なんて、世界中たくさんいるのだから。
父親だというなら、子どもと過ごそう。
父親だというなら、子どもともに歩もう。
父親という存在を考え、悩み、努力し、成長しよう。
そして、いつか胸を張って言おう。
「僕はこの子の父親です。」と。
では、また。
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