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久留米青春ラプソディ vol.8

(汗と涙の野球部物語 編 最終話)

いよいよ、最後の大会前日。

僕は興奮と不安で落ち着かなかった。

今までの歩みが不思議と頭をよぎる。

入部初日、同級生がたった3人だったこと。

一つ下の経験者メンバーの入部に喜んだこと。

そして、僕が暴力という最低の形でそのメンバー全てを失ったこと。

その後の辛い時期。3年生3人と入学したばかりの1年だけのチーム。勝てない日々が続いた。正確に言うと、試合にすらならなかった。チームメイトに当たり散らし、練習試合後はいつも1人で帰った帰り道。

あれだけ大好きだった野球が大嫌いになった。

いっそ辞めてしまおうかとさえ思った。

それから、ふとしたきっかけ、母の言葉に背中を押され、動き出したチームの再構成。

一人ひとりの想い。

彼らがグラウンドに現れた時の照れ臭そうな顔。久しぶりのユニフォームの着心地はどうだったのだろう。

彼らはブランクを取り戻そうと必死で練習した。声はかすれ、ユニフォームは泥だらけになった。

そして、僕らは一つになった。

寄せ集めではない、精鋭部隊。

僕はそう信じていた。

そんな風に想いを巡らせていると、僕はいつの間にか深い深い眠りについていた。

そして、夜が空けた。

身支度を済ませ、家を出ようとする僕に母が、「あんたこれ持っていき。」と小さな水筒を手渡した。

ところどころ凹みがある懐かしいそのボトルは、少年野球時代、ここぞという時に母が準備してくれたスペシャルドリンク。1本3千円のユンケルをリポピタンDで割ったというドーピングギリギリのハイパードリンク。

「おう。」とだけ言って僕はそのボトルを受け取った。

家を出る僕の背中に「さぁ、行っておいで!」と母は大声で言った。

試合会場の大学のグラウンドまでチームメイトは無言だった。経験者メンバーにとっては、中学野球では初めての公式戦。そして、対戦相手は市内屈指の強豪校。

プレッシャーで声も出ないのか、緊張なのか。はたまた頭の中で勝つためのシナリオをイメージしているのか。

それぞれが、それぞれの想いを胸に、最後の夏が始まった。

グラウンドにつき、アップを始める。軽いランニングを済ませ、キャッチボールに入る。

そんな時、僕らの次の試合のS中学がグラウンドに現れた。S中学のメンバーは少年野球時代に何度も何度も対戦したし、合同練習をしたこともある親しい間柄だった。

その主要メンバーのヒラちゃんが僕らに話しかけてきた。

「お〜、いつの間にか南薫メンバーが復活しとるやん!」と嬉しそうだ。

抜群君やウメと軽く言葉を交わしたあと、僕の元にやってきた。

「J中は強いぜ。特に4番の左バッターは要注意ね。」となぜかコソコソ声で言った。そして、「お互い1回戦を勝って、次勝負しようぜ!」と言って去っていった。

僕は相手チームを眺めた。

「左バッター・・・」

他のメンバーより一回りでかい。後ろ姿なので顔は見えないが、スイングでわかる強打者の空気感。

ただ、もう僕は身体も温まり、臨戦態勢。

「上等たい。やってやる。」と小さく呟いた。

アップが終了し、ベンチ前に集まる。顧問よりスタメンが発表される。

1番から5番までは経験者メンバー。下位打線は不安があるものの、急成長したお猿君やセンス抜群の1年生メンバーが配置された。

そして、キャプテンおにぎり君はというと、ライトで8番。いわゆる「ライパチ」と揶揄されるレギュラーギリギリのラインでどうにか生き残った。

両チームがベンチ前に並ぶ。お互いが声を出し、指揮を高め、相手を威嚇する。

審判の「集合!!」という掛け声で両チームが一斉にグラウンドに出てくる。

「櫛原中学校とJ中学校の試合を始めます。両チーム、礼!」

「お願いしまーす!!!」

僕らはいつもの先攻。先手必勝という少年野球チームの伝統を受け継いだ。相手チームがグラウンドに散る。

ベンチから相手ピッチャーの投球練習をじっくり見る。スラッとしたスタイルでサイド気味の投球フォーム。それほどスピードは無さそうだが、変化球のキレはありそうだ。

ショート、セカンドはリズミカルな動きを見せ、外野は足が速く、肩も強そうだ。なるほど、隙がない。そんな感じのするチームだった。

1番、抜群君が静かにバッターボックスに入る。

静まり返る、グラウンド。戦いの前のわずかな静寂。

空はどこまでも突き抜けるように青く、ちょっと気の早い入道雲も顔を見せる。

「プレイボール!」

審判の甲高い声を合図に両チームが一斉に声を出す。

さぁ、試合開始だ。

「さぁ、いこーぜー!」「バッター楽にねー!」

みんな声を張り上げる。

相手ピッチャーの初球。天才バッター抜群君の必殺技、初球打ちが炸裂する。僕はその瞬間を想像して、息をのんだ。

スローカーブ。

抜群君はタイミングを外され、大きく空振りをした。彼のそんな姿は後にも先にも初めて見たかもしれない。元オリンピック候補の両親を持つ天性の運動神経の持ち主、あの抜群君がバランスを崩すほどの変化球。

その後、コーナーをつく抜群のコントロールと落差の大きいカーブを前に、抜群君はあっけなくサードゴロに沈んだ。

今までの相手とは違う。先制パンチを食らわすつもりだった僕らは、逆にその1打席を見ただけで大きくプレッシャーを感じることになった。

そして、2番俊足君。よし、こいつなら何かやってくれる。そう期待して僕らは俊足君を見つめた。

3球目、伝家の宝刀セフティバント。打球の勢いを殺した3塁線ギリギリの絶妙なライン。「イケる!」僕は思った。

しかし、3塁手は予想以上のダッシュで前進し、右手でダイレクトキャッチ。その後、ほぼノーモーションで1塁へ。際どいタイミングだったが、審判はアウトを掲げた。

さらに、恐ろしいのはナイスプレーをしてにも関わらず、特に彼らは喜ぶそぶりも見せず、淡々と元の定位置に戻る。「大したことない」と言わんばかりに落ち着き払っている。

相当鍛えられてる。そんな印象をもった。

そして、次は僕の打順。バッターボックスに入る。

1球目、2球目、インコース。恐らくギリギリストライクのコースだと思う。積極的に降っていった僕は、2球ともファールになり、いともあっさり2ストライクと追い込まれた。

さっきの抜群君に見せた大きなカーブが頭を過ぎる。外のカーブ。それが次のボールだと読んだ僕はライト方向に打ち返すイメージを頭で固めた。

ゆったりとしたフォーム。左足でタイミングを刻む僕。「よし、こい」

しかし、投げられたのは高めのストレート。見ていたよりも速く感じる伸びのあるストレートだった。思わず手が出た僕のバットは空を切った。屈辱の三球三振。

スリーアウト。

なすすべなく3人で1回表の僕らの攻撃は終わった。

そして、僕はマウンドに向かう。そして、投球練習を始める。今日の出来はどうか。確かめながら丁寧に投げる。うん、感触はいい。

そして、僕は大きく深呼吸をし、空を眺める。

これはかつて全国制覇を成し遂げた憧れの甲子園優勝投手がしていたのを真似したのが始まりだが、いつの間にか僕のルーティーンになった。

相方ウメのサインはストレート。コースはど真ん中。

「思い切って投げてこい!」そう言っているのだ。強気なリード。いかにもウメらしくて嬉しくなった。

僕は全力でストレートを投げた。乾いた音がグラウンドに響く。

僕の初球を見て、相手のバッターが指2本分、バットを短く持つのがわかった。スピードに脅威を感じている証拠だ。こういう瞬間が僕は好きだ。

1番バッターをファーストフライで仕留めた。

そして、2番。打ち取ったと思った打球はセカンドの前で不運にもイレギュラーにバウンドし、セカンドの身体にあたり、こぼしてしまった。

こういうことは砂のグラウンドではよくあること。僕は切り替えてマウンドに戻った。

3番。こいつは見たことある。少年野球時代、そこそこ強いチームで4番だったやつだ。油断大敵。バッターの打ち気を感じたウメはカーブを要求した。それは見事に功を奏し、バッターは大きく空振りをした。

さすが。ウメ。相手の心理までよく考えたリードをしてくれる。

そして、2球目。モーションに入った瞬間、1塁ランナーがスタートを切ったのを感じた。「走ったー!」ファーストのジャンボ君が叫ぶ。

タイミングはどうか。その瞬間、ウメは中腰になり、素早く2塁へ送球。弾丸のような球がショートの抜群君へ一直線に送られる。

抜群君がランナーへタッチ。判定は?

「アウトー!!!」

僕はこの時、ウメが小学5年生の時に泣きながら送球練習をさせられているシーンを思い出した。「遅い!」と何度も監督に怒鳴られながら、2塁へ投げ続けるウメ。毎日毎日泣くまでやり続けたその努力はやっぱり無駄じゃなかった。

ウメに救われた僕は、対する3番バッターをお返しと言わんばかりに三振に仕留めた。ランナーは出したものの、何とか0点に抑えた。

ベンチに戻った時、僕はウメとグローブでハイタッチをした。

それ以後の2回・3回・4回は拮抗した投手戦が続いた。

変化球を多用しタイミングをずらす技巧派の相手投手に対し、僕はストレートを主体とした力で押すタイプ。

互いにランナーは出すものの、味方の好守にも助けられてスコアにはゼロが並んだ。

中学野球は高校、プロ野球とは違い7イニング制。

試合は終盤の5回へと突入した。
5回表。僕たちの攻撃。

ここで試合は動いた。

先頭打者の6番お猿君がレフト前ヒットで出塁。久しぶりに先頭バッターが塁に出た。

すかさず7番の1年生が送りバント。さすが経験者だけあって見事なバンドだった。

ワンアウト2塁。

さぁ、ここで打席立つのは不遇の男。おにぎり君だ。おにぎりは打席に立つや否や、「さぁ、来ーい!」と大声を張り上げる。

体格、風格ともに見た目だけは強打者だ。

しかし、それまでの打席で実力がバレてしまっているのか、外野はバックホーム体制をひき、少し前進してきた。

3球目おにぎり君が打った打球は気合とは裏腹にフラフラ〜っとファーストの方向へ飛んだ。

あぁ、だめだ…。と思った時、何やらファーストの動きがおぼつかない。試合中にはよくあることだが、太陽の光がボールに被っていて落下位置が判断できていなかったのだろう。

まさか!

そう思った時、おにぎり君の打球はファーストの後ろにポトン、と落下した。

僕ら全員が叫んだ。

「お猿、GO!!!」

二塁にいたお猿が全力でスタートを切った。3塁を蹴り、ホームを狙う。

ボールはライトが捕球し、バックホーム。ライトからの返球は素晴らしい返球だった。

キャッチャーミットへボールが到達する。お猿君はスピードにのったまま回り込んでスライディング。

キャッチャーミットのギリギリ下をお猿君が潜り抜け、ホームベースをタッチした。

ギリギリのタイミング。
判定は…?

「セーーーーフ!!!」
審判が叫んだ。

お猿君の見事な走塁、そして最高のスライディングにより、僕らは大きな大きな先制点をもぎとった。

僕は立ち上がり、土まみれになったお猿君を迎えた。お猿君の肩を抱き、2塁にいるおにぎり君に向けて2人でガッツポーズをした。

すると、おにぎり君は息を切らしながら、両手の拳を掲げ、「おっしゃー!」と叫んだ。

そういえば、僕ら野球はこの3人で始まった。

1年生の頃、先輩の練習試合のため、大量の道具をたった3人で分担し、10キロも離れた中学校までフラフラになりながら行った。

練習後のグランド整備もいつもたった3人だった。「なんで俺がこんなことを…」と文句ばかり言う僕に彼らはいつも笑顔で「今だけ今だけ!」「さぁ、頑張ろう!」と声をかけてくれた。

後輩に手を出してしまった時も、何も言わず、「9人おれば試合はできるけん!」と励ましてくれた。

そんなおにぎり君とお猿君の2人の活躍で、貴重な貴重な先制点をとった。

ずっと前から支えられ、そしてこの日も彼らに助けられた。

彼らのひたむきな姿勢に感謝の気持ちが込み上げ、思わず涙が出そうになった。

その後の後続は打ち取られたが、5回表、僕らは1-0とリードを奪った。

5回の裏。先制点を許し目が覚めたのか、相手の反撃にあう。

ワンアウト満塁まで追い込まれるも、センターに抜けるかと思われたライナーをショートの抜群君がダイビングキャッチ。飛び出していたランナーにタッチし、ダブルプレーでピンチを救われた。

抜群君らしいクールなプレーだった。

そして、6回表。打順は2番から。俊足君が内野安打で出塁。またノーアウトのランナー。おにぎり君のタイムリー、抜群君のファインプレーは完全に僕らに流れを呼び込んだ。

続くバッターは3番の僕。ピッチングでかなり体力を消耗していたこともあり、ここはバントで主砲ウメにつなぐことに専念した。

ワンアウトランナー2塁。

続くバッターは我がチームが誇る主砲。ウメ。

ここ2打席はウメも相手のカーブに翻弄されていた。しかし、このチャンスで黙っている男ではない。

ウメは初球の甘めに入ったストレートを叩いた。その打球はグングン伸びて、左中間を切り裂く。

タイムリーツーベース。大事な場面でウメのバットが火を吹いた。ベンチから「ナイスバッティーン!」と叫ぶと、ウメは白い歯を見せて笑った。

なおもワンアウト2塁。打席にはジャンボ君。いつもはボーッとしているこの男もやる時はやる男だ。

相手ピッチャーもここにきての追加点はこたえたらしく、肩で息をしているのが、こちらからも見て取れる。

そして、3球目。ジャンボ君がまがりの甘くなったカーブを捕らえ、打球はレフト前。

いいスタート切ったウメは一気に3塁を蹴ってホームを狙う。相手のキャッチャーともろに交錯するクロスプレー。激しくぶつかる両者。

判定はアウト。相手のキャッチャーはウメの強烈なタックルを逃げることなく、正面から受け止め、ボールを意地でも落とさなかった。

相手キャッチャーの気迫あふれる素晴らしいプレーだった。

ウメは立ち上がり、右肩を抑えながらベンチに戻ってきた。「大丈夫か?!」と声をかける僕に、「大丈夫。心配すんな。」と笑顔で返した。

そして、6回の攻撃を終え、スコアは2-0。この追加点でグッと勝利を引き寄せた気がした。守備に散っていく僕らも予想外の展開に少しばかし勝ちを意識し始めた。

その6回の裏。相手チームは攻撃前に円陣を組んだ。監督を中心に何か指示が出ている様子だった。そして、大きな声で「逆転するぞ!」と声を張り上げていた。

試合開始直後の飄々とした彼らではなく、一人一人に危機感と気合がみなぎる、そんな表情をしていた。

先頭バッターはセカンドゴロで打ち取ったものの続くバッターにセンター前ヒットを許してしまった。

送りバントを決められ、ツーアウト2塁のピンチを迎えた。

炎天下のグラウンドで一球、一球神経をすり減らしながら全力投球を続けるピッチャーというポジション。

どうしても終盤になると球威は衰え、コントロールは甘くなる。

渾身のストレートはやや真ん中に入り、三遊間を抜ける、2塁ランナーは3塁を回り、一気にホームイン。

1点返されスコアは2-1。点差はわずか1点。
湧き上がる相手ベンチ。

「気にすんな、ここで切ろう。」

抜群君は僕に近づき声をかける。まだ1点リードしてる。僕はマウンドで大きく息を吸う。

大丈夫。絶対大丈夫。
負けてたまるか。

自分に言い聞かせる。

そういえば、昔少年野球のころ。エースの座をかけて抜群君と僕はライバルだった。

背も高く運動神経の塊の抜群君。小さくてずんぐりむっくりの僕。投げる球は当然、抜群君の方が数段速かった。

ただ、僕がエースになった理由を監督はこう言ってた。

「だいすけは天性のマウンド度胸がある。それが試合をつくるエースの絶対条件だ」と。

マウンド度胸。それはピンチになっても、動じず自分のピッチングができることを言う。甲子園やプロ野球でも、ピンチになると急にストライクが入らなくなったり、デッドボールを当ててしまい自らピンチを招くシーンを見たことがあるだろう。

冷静に自分の精神をコントロールする。その能力がピッチャーというポジションには求められる。

この時も僕は意外にも冷静だった。自らタイムを取り、靴紐を結び直す。

そして、内野、外野を見渡し、明るく声を出す。そうすることで自分の間を作り、精神を落ち着ける。

みんなに「俺は大丈夫だから。」と伝えたい気持ちを込めて。

そうして、後続のバッターを見逃し三振でしとめ、ピンチを切り抜けた。

6回が終了し、いよいよ最終回。

2-1で1点リードで迎えた最終回。この1回で勝負が決まる。僕らもベンチ前で円陣を組んだ。

「追加点、とるぞ!」と気合を入れ直す。

しかし、僕らの気合も虚しく、攻撃は相手ピッチャーの気迫の投球の前に、たった3人で終わってしまった。流れは、確かに相手チームに少しずつだが確実に引き寄せられていた。

休む間もなく守備につく僕ら。いよいよ7回の裏、泣いても笑っても最後の守備に着いた。

相手は9番から。少し小柄なこのバッターはこの試合ノーヒット。正直、僕のスピードについてこれていない。まずはワンアウトは大丈夫。そう思った矢先…。

初球セフティバンド。

完全に油断していた。僕とサードのお猿君が前に出る。お猿君がキャッチし、ファーストへ送球。

しかし、相手選手は気持ちのこもったヘッドスライディングで判定はセーフ。

立ち上がり、ベンチに向かって拳を突き上げる。「ナイスバンドー!」「ナイスファイトー!」盛り上がる相手ベンチ。

予想外のバンド攻撃の処理で僕の息はさらに上がる。

そして、打順は先頭バッターへ回る。足が早く、器用なこのバッター。この試合ではカーブを見事に流し打ちされ、ヒットも許している。

絶対打ち取る。そう自分を鼓舞する。

そして、投げた初球。

またもセフティバンド。今度はファースト側へ。図体のでかいジャンボ君が全力でダッシュするものの、彼の足では到底間に合うはずもなくまたしてもセーフ。

バンド2本であっという間にノーアウトランナー1・2塁のピンチを迎えた。

サヨナラ負け。

その文字が頭をよぎったその時。

「タイム!」

ウメが審判にタイムを要求した。マウンドへ集まる内野陣。

とにかくランナーを前に進めない作戦。サード、ショートゴロは3塁へ。セカンド、ファーストはセカンドゲッツーで後はバッター勝負。そうみんなで確認した。

そんな緊迫した場面で、珍しくジャンボ君が口を開いた。

「なんかぁ、楽しいな。こういうの。」

一瞬みんなはその場違いの発言に「はぁ?!」となったが、そののんびりしたキャラクターもあって、その言葉に思わず笑ってしまった。

「確かに。」抜群君が笑った。

そのジャンボ君の発言は狙ったのか、そうでないのかは定かではないが、僕たちの緊張をいい感じでほぐしてくれた。

みんなが散り散りになり、僕はマウンドで1人、「確かに、楽しいな。」とつぶやいた。

迎える2番バッター、もう1発バントもあり得るこのシーンだが、僕とウメはバントさえさせない、と言わんばかりの強気なピッチングでどうにか三振にしとめた。

ワンアウト。
よし、これでいい。もう色々考えず、バッターに打たせなきゃ勝てる。そう考えていた。

しかし、その気持ちが相手に伝わってしまったのか、迎える3番バッターの2球目。2人のランナーが一斉にスタートを切った。

油断していたとはいえ、3塁への盗塁を簡単に許すウメではない。

ウメは中腰になりモーションに入る。「いける!」と思ったその時、ウメが放った球はなんとも力のない緩いボールだった。

「え?」

当然セーフ。
スライディングをすることなくランナーは悠々とベースへ到達した。

3塁まで届かないボール。お猿君が慌ててキャッチする。

驚いてウメをみると、「悪い、握り損ねてしまった。」

ウメがそんなミスをしたのを僕は今まで見たことがなかった。一瞬「何やってんだ!」とも言いたくなったが、その気持ちを堪え、「ドンマイドンマイ!」と明るく声をかけた。

これでワンアウト、2・3塁。一打サヨナラのピンチとなった。

ギリギリに追い込まれた僕ら。体力は限界に近い。でも、こういう場面こそ、逃げてならない。真っ向から向かっていかなければならない。

それが僕が小さいころから憧れたピッチャーというポジションでありエースの役割だ。

僕は渾身のストレートを目一杯の力で投げ込んだ。やや高めに浮いたその球に相手のバットは空を切った。

空振り三振。

「気持ちで負けるな。」何度も、何度もそう自分に言い聞かせ、こういうピンチを乗り越えてきた。

これでツーアウト。
残りアウトひとつ。

そして、4番バッターを迎える。
試合前にS中学のやつから聞いた「4番の左バッターには要注意」。

その言葉が頭をよぎる。

こいつだ。

でかく筋肉質な身体。それでいて、力を抜いたようなしなやかな構え。

どこを見ても隙のないその不気味で威圧的なオーラ。

いよいよ、最終局面を迎える。

初球のウメの要求は外のカーブ。なるほど、相手の打ち気を交わすいい配球だ。

僕は少し指の間から抜くようにボール投げた。

そのボールは風の抵抗を受け、高めから低めに曲がりながら落ちる。

いいコースだ。

しかし、相手はタイミングをずらすどころかドンピシャのタイミングでそのボールにミートした。

パキーン!

レフト方向に向かって大きく伸びていく打球。

ファール。

ひやっとした。全身の血の気が引いた。

カーブを待っていたのか、その場で対応したのはわからないが、ほぼ完全にミートされていた。

ただ、ギリギリのコースをついた分、どうにかファールになってくれた。そんな一球だった。

なんだ、こいつ・・・。

相当なバッターだ。こんな鋭いスイングをし、そしてパワーもあるやつにはウメ以外出会ったことはない。

僕はもう冷静さを捨て、相手を睨みつけた。
「負けてたまるか。」

最後は気持ちが強い方が勝つ。
そう言われて、鍛えられてきた。

次はインコースのストレート。残る力を振り絞り、全力で投げ込んだ。

相手はそのインコースにも腰を引くことなく、身体を軸にすばやく腰を回転させ、その球をとらえる。

強烈なライナーがファースト方向へ。

その打球はものすごいスピードでライト側のファールゾーンへ消えていった。

これでツーストライク。

カウント的には追い込んでいるのだが、2球とも真芯でとらえられていた。

しかも、僕の今投げれるベストなボールを確実に。

3球目。ウメの要求は低めのカーブ。ワンバウンドするくらいのボール球で空振りさせようという配球。

このシーンでワンバウンドさせるのはパスボールで後ろにそらせば同点、という大きなリスクがある。とても勇気のいる選択だった。

しかし、面の向こうのウメの目は「絶対に後ろにそらさないから、来い!」、そう言っているようだった。

僕はそんなウメを信じてカーブを全力で投げた。バッターのギリギリ手前でワンバウンド。

しかし、バッターのバットはスイングの途中でピタリと止まった。

判定はボール。

普通のバッターなら追い込まれたこの場面。必ず手が出るこのボールを彼は見極めた。

ボールには手を出さない。ストライクゾーンは確実に芯でミートする。本当に恐ろしいバッターだ。

カウントはワンボール、ツーストライク。
持ち玉は全て見せた。

もうあとは力と力で勝負するしかない。そう思った僕はウメのサインを見た。

サインは真っ直ぐ。ウメも同じ考えだった。

ウメはミットをパーン!とたたき、大きく腕を広げる。

要は、どこでもいいから思いっきり投げてこい。そういうことだ。

僕は大きくうなずき、ゆっくりとモーションに入った。

この時、僕は感じていた。

これが最後の一球になるだろうと。

三振か、打たれるか。
結果はどちらかだ。

僕は7年間、がむしゃらに続けた野球への想いをめっぱい込めて、最後の一球を投げた。

パキン!

やや鈍い音を響かせ、打球はライト方向へ上がった。

つまった打球。フラフラと上がるボール。僕は打ち取ったと思った。

しかし、2歩、3歩とオタオタと下がるおにぎり君。

やばい!

僕はあわてて叫んだ。

「ライト!前ー!前ー!」

おにぎり君がその声に気づいて全力で前にダッシュする。

フラフラと力なく落ちてくるボール。必死の形相で前に出るおにぎり君。

しかし、そのボールは無情にもおにぎり君のわずか1m前に落下した。

3塁ランナーはボールが落ちたのを確認し、スタートを切った。

ホームイン。

2-2の同点。

さらに2塁ランナーもスタートをきり、3塁をまわってホームを狙う。

「バックホーム!!」

大きく叫ぶウメ。

しかし、そのボールは高くワンバウンドし、おにぎり君の頭上をゆっくりと超えていった。

湧き上がる歓声。相手チーム全員がベンチから飛び出してくる。抱き合いながら歓喜の声を上げる。

ライト後方へさみしく転がっていくボール。

そして、うずくまり立ち上がらないキャプテンおにぎり君。

その景色を眺めながら、僕は呆然と立ちすくんだ。

3-2。サヨナラ負け。

僕らの最後の夏は終わった。

ジャンボ君に抱えられようやく整列したおにぎり君は声を出して泣いた。

僕も悔しくて悔しくて、涙が溢れ出そうになった。

でも、その涙を必死で堪えながら、相手チームとベンチに挨拶をした。

そして、片付けを終え、ベンチから出ると入れ違いでS中の野球部がいた。

「ナイスピッチング!おつかれさん。」

そう言って、僕の肩を叩いてベンチに入っていった。

その後は、顧問の先生がみんなの前で最後の話をした。

「君たちは素晴らしい試合をした。堂々と胸を張って帰ろう。」

その言葉を聞いて、みんな泣いていた。お猿君も抜群君も俊足君も、ジャンボ君も、そしてウメも。

数ヶ月前に加わったメンバーも顔をグシャグシャにして泣いていた。

悔しさと、これが最後だというさみしさとその2つの感情が入り混じった涙。

もしかしたら、もっと早く野球部に入っておけば。そんな後悔もあるのかもしれない。

ただ、僕はひとり。涙を堪えていた。

ひとりだけ、僕だけがまだ負けを受け入れることができなかった。

こんなはずじゃなかった。
勝てる試合だった。

最後のバッターを三振に抑えることができていたら、おにぎり君があの打球を取っていたら。

そんな後悔と自責の念、そして味方のミスへの怒りも交えた、とても複雑でドロドロとした感情抱え、その感情をうまく処理することができずに、僕はロクにみんなと話もせず、1人グラウンドを後にした。

みんなにとってはひどい態度に見えただろう。

1人でトラックが行き交う国道、その長い長い真っ直ぐな道をひとり自転車で帰っていると自分がとってしまった態度をひどく後悔した。

1年の頃からわがままで自分勝手な僕を支えてくれた2人の仲間。そして、僕の呼びかけに応え、野球部に入ってくれた4人の仲間。

そんな彼らに感謝の気持ちも伝えることなくグラウンドを後にした自分を責めた。そんな自分がどうしようもなく情けなかった。

その時、僕の背中をバシーン!と誰かが叩いた。

びっくりして振り向くと、そこにはヤンキー仕様の自転車にまたがり、禁煙パイポをくわえたウメがいた。

ウメは前を真っ直ぐ見たまま、

「今日は今までのお前の球で最高のピッチングやったぜ。」

そう言って、僕を追い越して行った。

その言葉を聞いて、僕の目から、一気に涙が溢れた。

その後。

抜群君、俊足君、ジャンボ君が
「野球部に誘ってくれてありがとな!楽しかったわ!」
と声をかけて僕を追い抜いていった。

さらに涙が溢れた。鼻水まで加わり、ひどい顔になっていただろう。

そして、おにぎり君、お猿君はパンパンに目をはらして、
「3年間、ありがとう。おつかれさん!」と声をかけて笑顔で追い抜いていった。

もう涙で前は見えず、嗚咽が止まらない。僕は子どものような泣きじゃくった。

トラックの騒音で泣き声はかき消され、小さく空に消えていった。

空は僕の気持ちを洗い流すように、どこまでも青く澄んでいた。

先ほどまでの後悔や怒りの感情は全て消え去り、仲間への感謝と、この仲間でもう野球ができないというさみしさ。

そんな気持ちでいっぱいだった。

色んなことがあった野球部だが、結局は僕ひとりでは何もできなかった。

支えられて、助けられて。みんなで汗かいて、声出して。

最後のたった5試合だったが、最高の仲間と過ごした時間は今でも僕の宝物だ。

最後にもう一つ。

その試合の次の日。

僕が学校にいると、ウメは相変わらず遅刻をしてきたのだが、その姿は右腕が骨折した人がよくやる白い布でつられている状態だった。

僕が驚いて、「なんそれ?!どうしたん?!」と聞くと、試合中のクロスプレーで相手キャッチャーと激突した時に脱臼していたらしい。

それで最終回の盗塁を仕掛けられた時、どうしても緩いボールしか投げれなかったと僕に謝ってきたのだ。

「あほか、お前!そんな大怪我なら言えやん!」と興奮する僕に、「あんだけお前が必死で投げよるのにそんなこと言えるか。」と言って笑いながら去っていった。

その後ろ姿はどうしようもなくかっこよかった。

そうして、僕の3年間の野球部生活は幕を降ろしたのであった。

汗と涙の野球部物語編。

おしまい。

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