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運動の週間作りは「誰かと楽しく」がいい。


 先日、小学生のときの同級生の訃報を耳にした。原因は心筋梗塞。ショックだった。

 もちろん生きていれば、突然事故に遭うこともあるだろうし、その確率を0にすることは不可能だということもわかっている。しかし努力すれば、限りなく0に近づけていくことはできるはず。考えてみれば、最近の老衰以外の死因のほとんどは病気なのだ。ということは長生きしてぽっくり昇天するためには、病気にならないように頑張る。これしかない。

 最近は本やメディアでさまざまな健康維持法が紹介され、もはや決壊して氾濫している。その大半は食生活と運動に関するもので、やれあれを食べろこれは食べるな八分目にしろ、ランニングしろ、歩け、泳げ、筋肉!と、大抵の健康指南本の表紙はお高くとまってわたしたちに命令する。まるで悪い上司の典型のように焦点定まらず、健康難民たちをしょっちゅう惑わし、無駄に回り道をさせる。しかしこれらの本の大半が、後半になってから次のように言うのだ。

「バランスよくストレスなく食べろ」、「適度に運動しろ」

 そして皆悟る。とりあえずこのふたつを実践すれば、健康になれること間違いなし、と。

 ただいざ実践するとして、前者はまだしも後者の「適度な運動」というのが非常に曖昧で納得がいかない。アバウトすぎるのだ。適度ってどれくらい?と聞きたくなる。

 わたしは普段犬の散歩をするし仕事でもそこそこ歩く。しかし本当に運動量として足りているのだろうか。特に昨年車を買ってからは通勤で自転車に乗ることもなくなってしまった。そうしてあれこれ悩んでいるうちに見つけたのが職場のランニング同好会だった。

 正直に言うと、わたしは走るのが嫌いだ。個人的には、目的地があって急いでいない限り走りたくはない。個人的に同じ運動するなら自転車のほうが効率がいいと思っている(かかる時間と運動強度のバランス)。けれどもいくら自転車でも日差しの下はとにかく暑くて皮膚が焼ける。

 そう、結局のところあの日光が嫌なのだ。引きこもり予備軍にとって灼熱の下での運動は、とにかくレベルが高すぎる。よってわたしはランニング同好会の活動に一応参加しているものの、実は走ってはいない。嫌だよ暑いもの。

 では何をしているのかといえば、実はランニング後の登山に勝手に参加しているのだ。

 非常に元気な先輩方は、ラン+登山で健康維持に努めている。一般人を代表して言うと「狂ってる」のひとことなのだが(褒め言葉)、彼らが山を登るおかげでわたしに運動の習慣がつくことになった。

 彼らがランを終え、山にたどり着く頃に車で向かい合流する。そこはいつも同じ山で、1.5時間もあれば登って降りてこられる一年中登れる場所だ。トレーニング向きなのか先輩方が次々とタイムアタックを仕掛けて往復するなか、わたしはほかの数名とともにのんびり登る。そう、ランニング部にも関わらず登山のみ参加の人達もいるのだ。  

 そして合流した数名と自分のペースで無理なく登る。ほぼずっと木の陰を歩いていられるので、日光の嫌いな人にはぴったり。朝登ればいまでも涼しく、木々の中はフィトンチッドで満たされマインドフルネス効果も得られる。

 いまではひとりで登ることもできるが、毎週登っていると、やっぱり皆で運動することのよさを強く感じる。声をかけあったり、仕事と関係ない話をしていると、楽しいからなのだろうかなぜか疲れにくい。そして気づけばあっという間に登り終わっている。

 ただ初めの数回は筋肉痛と疲労で、せっかくの休みが台無しになる可能性大だ。しかし継続は力なり。徐々に体が慣れていく。そして登るからこそ、休日を有意義に罪悪感なくダラダラすごせるようになる。

 運動の習慣はひとりではなかなか継続しにくい。しかし誰かがいることでやめにくくなり、その楽しさが原動力となる。そして年齢を重ねるほどこの楽しさは生きがいに変わっていく。

 リタイア後のコミュニティ内での活動と寿命との関係については、この名著でも語られていた。


  皆さんもぜひ誰かと楽しく運動し、それを習慣にしてみてほしい。決してすぐには効果が出ないと思うけれど、いつかわたしたちを幸せにしてくれるに違いない。


 

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