レイプ事件被害者考

人生は朝起きた時から始まって選択の連続でできていると言いました。
だから人生に起きる全ての出来事は自分の選択の連続から成立していると書きましたが、それはやっぱり違うこともあると思う。
例えば私の場合、事件の被害者になったのは私が少女に騙されたからであって選択の余地はなかった。
その選択の余地のないことで私は傷つき苦しみ続けて、そして今も辛いと思っている。
彼と生まれて初めて会った日から暮らし始めたのは、私の打算があったからです。
元夫と出会う少し前、私は自宅近くで見知らぬ男から声を掛けられた。
「あんた〇〇さん」
逡巡する間もなく私は「ハイそうですけど、」と応えてしまっていた。
するとその男は妙に気持ちの悪い笑顔で「そうか、あんたが回された〇〇さんか」「あんた、回された女やと言い振らされたくなかったら俺と付き合わんか」と言ったのです。
回された女とは輪姦された女ということです。私は震え上がりました。
ずっとずっと隠し続け悩み続けている私の人生の恥部をこともなげに言い放ち、その隠し事を人に言いふらされたくなかったら付き合えってどういうこと?頭の中がパニックになり、少しの間忘れかけていた自殺の文字が再び浮かび上がってくるようになりました。
お見合いした人間との結婚を強要してくる母のことが疎ましかったけれど、それ以上に見知らぬ男の言葉は私を奈落のふちに突き落としました。
絶望感に苛まれ最悪の状態でいる時に元夫と出会ったのです。
初めて会った彼が思っていた以上に優しく思えたし、頭を過ったのは彼と居れば妙な男たちから嫌な言葉を聞かなくて済むようになるという打算的な思いでしたし、実際に彼と暮らし始めてからは見知らぬ男に会うこともなく嫌な思いをすることはありませんでした。
後年わかったのですが彼はよからぬ連中が私を脅していることを知って反対に彼らを痛めつけて恐喝していたというのですから驚くやら呆れるやら、、
私の打算的な思いは私の知らないところで思いがけない形で解決していたのです。
しかし、、こんなことが起ったのも元はと言えば私がレイプ事件の被害者になったことが起因しているのです。
もし、、もしもあの事がなかったらということが人生にはあるということです。
よく人は言います。自分の身に起こったことは受け入れるべきだと。
もしも私と同じ経験をして、そう言えるでしょうか。
もしレイプ事件の被害者になっていなければ、たとえ打算的であろうと彼と共に暮らすことを選ばなかったし、私は私が自らの小指を切り落とすことになるような境遇には陥ることもなかったはずです。
数年前だったと思いますがアメリカでレイプ事件の被害者だった18歳の女性が「人は忘れろ前向きに生きろというけれど私は自分の身に起こった事件のことを忘れることは無理です。だからどうしても死ぬしかありません」と遺書を書き残して自殺したという記事を読んだ記憶があります。
レイプ事件の痛ましさを伝えるこの記事を読んで思ったことはレイプ事件の被害者の心の闇がいかに深いかということをこの記事から読み解くができるということです。
私も大勢の男たちに押さえつけられていたとはいえ抵抗する力さえなくしていた自分が許せなくて自分を責めたし、犯人たちが事件のときに私を殺してくれていたらどんなによかったかとさえ思いました。
高校時代は夢を見るたびにトラウマに悩み、まるで下半身をさらけ出しているような感覚で恥ずかしさと悔しさと辛さで生きていく勇気が萎えることもあったし事実死のうとしました。
辛さを分かってほしくてリストカットをなんどもなんどもして無数の傷跡が今も手首に残っているのです。
手首を見る限り私から事件の被害者であった事実を消し去ることも受け入れることもできません。
レイプ事件の被害者が何年も経ってから被害者であったことを公表するのはおかしいとかいう人がいることに憤りを覚える時があります。
一生隠し続ける人もいるだろうし私のように何十年も経ってから公表する人間もいます。それだけレイプ事件の被害者の心の闇は深いのです。
それでも勇気を振り絞って公表した方々に思いやりのないコメントを書く人がいます。
書かれた文章を見るたびに心が痛みます。そして思うのです。
「ちっ、何にも知らないやつがほざいてらぁ~」ってね。
私は間もなく77歳になります。40歳過ぎてからC型肝炎と診断され今もウイルスが体の中にいます。ウイルス除去の薬が出ても薬アレルギーですから除去の薬を服用できません。C型肝炎の患者として生きていくしかないのです。
次女を妊娠しているときに精神的な負担があまりに大きくて耐え切れず
パニック障碍になったし極度の不安症もあります。今も再発を繰り返しています。梅雨時は気象病による天気痛で頭痛との戦いです。
その上、全身の痒みで不眠症になるし最近血糖値が高くて薬を服用中。
そんなこんなで自分のことを考えるのに精一杯で誰かの厭な言葉を気にしたり腹を立てたりする余裕はありません。
でも若くして心無い言葉で傷つく人のいることを思いやったときにその方々の心が癒されますようにと祈らずにはいられません。




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