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京都人の誇り

注意 この話をご覧になり、不愉快な気持ちになる方もいらっしゃるかもしれません。嫌な気持ちになるかもと思われる方は、この話を読まずにスルーして頂くようお願いします🙇
妻の実家は、五条高倉に有った。妻曰く、「室町時代から続く扇子職人」だそうである。最も妻自身は、京都山科の生まれで、育ったのも、京都山科~醍醐である。結婚の為に妻の実家まで車で連れて行かれたとき、京都の主だった観光地しか知らなかった私は、最初、ここは京都の何処だろうと思ったぐらいである。妻の実家は醍醐、仕事場は山科、そして本当の実家は五条高倉に有った。五条高倉の実家は古い木造住宅で、戦前の疎開で今の五条通りが出来た時に、疎開させられた場所に建てた家だそうだ。よく「軍の疎開指示さえなければ、今ごろはこの一等地に家が有ったのに」と妻がぼやいていたのを思い出す。
確かに昔は祇園祭でも、妻の父方の叔父が函谷鉾の役員で、無料で函谷鉾に上げて貰った。祇園祭には京都人の想いと力が、込められているような気がする。その叔父さんも、しばらくして脳梗塞で倒れてしまい、祇園祭に息子を関わせる事が出来なかった。しかしお稚児さんなんかは、就任すると家を一軒買えるぐらい費用が掛かるのだそうだ。
妻の実家の方々の口ぐせは「三代住まなきゃ京都人に有らず」で有る。一度車内で妻に「大津のマンションに住もうか」と提案したところ、乗り合わせた妻の両親と妻から「京都市市内じゃ無い」と合唱されてしまった。
誠に厳しいものである、また結婚の時も、私の事が調べられた様子が有って、かつて国家公務員総合職の方々でも、容赦なく断っていたそうだ。あまりこの部分は私は知らない方が良いのだろう、因みに私は、福井県の奥越地方の出身である。私としては婚活で自らの男性としての価値を痛烈に思い知らされていたので、選択して貰えた事に何ら異議は無かった。妻は私を「結婚用の男」「恋人としては価値0点」とか最初から言っていた、友人にも紹介出来ないレベルだったらしい。息子が産まれ、私自身の人生最大のピンチに、予想外にも駆けつけて貰い、家族と言うことでお世話になった事で、一家あげて京都市に住む事にした。妻の家系は京都に拘るけれど、結婚は他県の人間としている。妻の母親は下関出身だし(しかもガチで駆け落ち、妻が山科で産まれ育ったのもこの理由から)、妻の祖父は滋賀県出身である。家系としては本来分家になる、京都の第16師団はレイテ島で全滅し、妻の祖母のお兄さんが戦死したためである。
今度20歳になる息子も、妻と妻の実家の影響をもろに受けて自らが京都人で有ることを誇りにしている。大学受験の時も、私は東大を薦めたのにも関わらず、京大を迷わず選択した。東大だと医者は関東在住になるから仕方ないけれども、京大でも必ずしも京都市には居られないのではないかと思うと複雑な気持ちになる。五条高倉の実家は、妻の実家で売却してしまったけれど、息子には五条高倉への帰還を期待したいと思う。
因みに、宇治市から徒歩10分のところにある我が消防団の先輩方は、全員、他県出身の人間ばかりである。
京都市は不思議な都市である。






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