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一歩踏み出してみたよ

ご近所さんとのヨガを楽しんでいます。今は月に2回、地域の集会所を借りてぼちぼちと。

ヨーガと共にある人生に真摯に向き合い始めたこと、学びたいと思える先生に出会えたこと、家庭や仕事がひと段落してきたこと、そう、今が最善のタイミングだったということなのでしょう。

資格がないから私には教えられない、という長きにわたる自分自身の囚われからやっと一歩を踏みだすことが出来たみたいです。いろんな人の力を頂きながら、でも思っていた以上に自然な形で。
今は胸を張って「独学です」と言えるようになりました。
そして、ここから本当の学びが始まるのだと覚悟を決めて臨んでいます。

とはいっても、まだ2回目が終わったばかり。皆さんが喜んでくれることが本当に嬉しい。この感覚は今まで味わったことのないもの。とにかく新鮮です。

反省のノートにはああすればよかった、こうすればよかったと、いろいろと出てきますが、それでも、次はもっとわかりやすく、もっとヨガを味わってもらえるようにと、学ぶだけだった今までとは全く異なるフェーズの想いが次々に生まれてくることに改めて驚きです。

四苦八苦しながらも、ヨガを教えるという体験をして気が付いたことがあります。

それは、「与える側」「受けとる側」という構図の中でヨガをするのではなくて、ヨガを共に楽しむ、共に感じる、そういう全体世界をこの小さな集会所の中につくることが私のお役目なんだってこと。

頭の理解だけで得た知識では、心の奥まで響かないし、うまく伝わらない。何よりそれを口にした自分がいちばん居心地が悪い。

その場で感じたことをありのままに伝え、私の中に蓄積されたものが勝手に滲み出てくるのを待つ。

それ以外のものは言葉にして口から出した瞬間に消えてなくなってしまう。

もうね、みんなの前に立つと本当にどうにもならないんだなあって思います。
まさにお手上げ状態。

これはもう、全てをブラフマンに預けてしまうしか方法はないんだってこと。


経験もないのに。
私なんかにできる訳が無い。
いい歳して恥ずかしい。
知識も不十分。
怪我させたらどうするの。
ただのヨガ好きでしょ。
インドも行ったことないのに。

ぜーーーんぶ、私がワタシに向けた言葉。
でもね、本当の私の声ではないってこと、私は知っている。
これはすべて頭で作り出したエゴの声。

喜んでくれる人がわたしの目の前にいる。
これがただひとつの真実。

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