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映画「怪物」を2度見て

なんの予備知識もないままに
クィアの作品であることもよく知らずに
でも予告が出た時から絶対に見ようと思っていた作品

公開初日は台風だったため、断念したが
数日後足を運んだ

先入観もなく見れたのはとてもよかったと今では思う。
2人の男の子の関係によくやく確信が持てたのは
よりくんがキスコールをされ、
キスさせられようになった時だろうかそこから
あれ、そうか、そういうことなのかと

1度目

台風のシーンで動かない列車に乗りようやく2人の
世界になり、坂本龍一さんの音楽が流れ出してから涙が止まらなかった
整理するには、立ち上がるには時間が足りなかった

終わってから全ての辻褄を合わせようと思い出せるだけのシーンの書き起こした

最初に抱いたのは、
2人の世界がキラキラしていたこと
この生まれ変わった世界で2人が眩しい笑顔でいられるのならば、ようやく何も気にすることなく幸せという簡単な言葉では表せられない尊い感情で生きることができるのかな、と

自分の抱く感情は誰にも邪魔されたくはないし
否定されても変えられるものではないから
否定されたらこの気持ちは良くないとマイナスな
気持ちだけ残ってしまう、そんなことならば
邪魔するものがいない世界に行きたい
そんなことを自分自身でも思う

それゆえその考えが先行して最初は
このエンディングでよかったと複雑ながらも
ポジティブに終えることができた

わたし自身も誰かにとって怪物であり
その要素は散りばめられている

それを考えると生きづらい

誰も傷つけたくはない

誰にも怪物にならないように生きてしまったらそれは自分ではないということになるのではないか
一人一人の絶対的ヒーローになることはできない

傷つけること前提に生きるのは生きている意味があるのか

これは恋人たちが結婚はしないけど付き合ってる
ことと似ているなと思う

2度目

これから起こる出来事を知りながら観るのは
思ったより緊張した
1度目では分からなかった、嘘をついているシーンや
本意ではない発言の目や動きに注目すると
分かりやすいものだった

ということは、日常では巻き戻すことのできないシーンで目や動きに注目しておくことは重要なのだな

2度目の気づきとして、麦田くんの隣の女の子が
ある漫画を読んでいたこと
そこから前回ではできなかった新しい発見があった

また麦田くんが家で消しゴムを拾うシーン
ここがどうしても分からなかったが、2度目で
なんとかナマケモノの特徴をもつよりくんのように
じっと耐えてみたのではないかと考え着いた

随所随所で聞き取れなかったり、分からなかった言葉がああここで言っていたのかと

一度で吸収できる量が少ない自分が少し嫌になった

バスタブからよりくんを出す時○○が来るよ!と
言っていたのは生まれ変わりの話で
その前の列車の飾り付けで準備をしよう(出発の)は
もう既に生まれ変わりの準備をしていたこと

心臓がぎゅっとした

今回残ったのは校長先生に麦田くんがすきなひとが
いると話したところで涙がボロボロでた
ようやく言葉ですきと言うことができた
そこから気持ちは加速し、自分自身を肯定できていたように思う
また校長先生という初めてどっちつかずの存在に(どちらかと言えば味方くらいの)出会えたことも
気持ちに拍車を掛けたのではないか

最後に

ようやく他の人の考察を見た上で
2人はこの世を諦めて生まれ変わることを選んだ訳だが変わるべきは2人なのか、と
そうまでしなければ幸せになれないと
この歳で選ぶにはあまりに、、

映像にすると美しい
だかあまりに世界に希望がなかった

ただ感情を持っていただけなのに
2人は誰も傷つけていないのに
(麦田くんの隣の女の子はもしかしたら傷つけられたかもしれないが)

世の中は自分の意思より周りを配慮し、
生きづらい人ほど
報われない世界で作られている

どうしようもない世の中だなあ

決してこの作品を見て絶望した訳ではない
改めて気づいただけでありマイナスばかり受け取った訳でもない
この作品に出会うことができてよかった
もう一度みたい、と何度でも思うだろう

改めて


その人にしかわからない感情に対して、
外からあれこれ干渉してくれるなよと思います


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