見出し画像

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第57回 漢口の水塔夜景と屋台村

(18)中山大道(ジョンシャンダーダオ)と江漢路(ジアンハンルー)の交差点付近には、漢口水塔とよばれる貴重な近代建築が残っている。1980年代初頭まで漢口の中心街に水を供給していたという、街のシンボルの一つである。清のラストエンペラーの時代、宣統元年(1909)竣工のレンガ積みの建物で、八角六層の高さ41米(メートル)。大正の震災で崩壊した浅草十二階こと凌雲閣(1890年、高さ52米)と同系統の形状であるが、こちらは触れると切れそうなほど角が張り、頑健で骨っぽい外観である。各階の上部だけが黄色いライトに照らされて、それは幻想的な眺めだった。この水塔をはじめ、中山大道の洋館夜景は涙が出そうなくらい、豪華で煌(きら)びやかだった。こんな立派な洋風建築の密集は東京にはないから、正直うらやましい。なんとなれば、映える夜景スポットをお探しの方を、このキラキラした漢口の旧租界エリアへお連れしたいくらいである(むろんコロナ禍以前の当時の感想としてだ)。江漢路にしても中山大道にしても、戦前のウエスタンスタイルが単に継承されているだけでなく、歩行者の回遊のアテとして、旧建築が新商業街にしっかり組み込まれている。もちろん大々的な改築・改装を経て、満を持して営業をスタートさせたのは確かだが、街区全体が眼福に富むばかりでなく、なおしたたかに商業価値を生み出している点には感服させられる。それから、先ほども多少触れたが、数奇な歴史の街を闊歩する若者の姿にも、彼らなりの誇りやカラッとした風格が滲(にじ)んでいる。それは、なぜか上海では感じない雰囲気だった。上海では、やはり外地人が多いために日本人だって大してアウェー感はないし、今や彼ら地元民に対して「上海っ子」という意識が湧かないのだ。

(19)さて、先述の水塔のわきに、やたらと飲食の小店がならんでいた。街灯は少ないが、しかし、なかなかの人出である。プラスチックの椅子や卓子(テーブル)が路上を占拠している。ざっと見わたすと、おチビさんたちを連れた家族連れもいるし、杖(つえ)をついたかなりのご年配もいる。いつの間にかワイドな年齢層で満ちあふれていたのだ。そんな地元客の賑わいが、ぼくを後押しした。よし、ここで夕食をとろうと。一店舗あたり2米から4米の間口で、牛肉麺(ニウロウミエン)、かき氷、串焼き、生煎(ションジエン)、臭豆腐(チョウドウフ)など、いろんなものを食わせる。で、ぼくが選んだのは「老韓煽鶏(ラオハンビエンジー)」という人気店の骨無し香煽鶏(シアンビエンジー、ピリ辛の鶏肉揚げ)、量り売りで250克(グラム)23.8元。それと「神農架洋芋(シェンノンジアヤンユー)」という店のジャガイモ揚げである。これは、まず直径約2厘米(センチ)の小ぶりな芋を大量にサッと油で揚げて、あとは小型の鍋に適量を移し、客の好みに応じて味付けをするという、ごくシンプルな一品である。微辣(中辛)、麻辣(辛口)、酸辣(酸っぱ辛口)、孜然(クミン)、椒鹽(塩コショウ)、蕃茄(トマト味)と六種類ある。鍋の中にこれらの「魔法の粉」を投下して、味を調えていくのである。大12元、小7元。見た目からして美味しそうだし、看板を見れば武漢総店とある。こんな間借りの小店(こだな)が本店というのもよく分からないが、店名はメルヘンチックだし(神農架は湖北省を代表する自然保護区で、野人伝説でも有名である)、ちょっと試したくなった。頬っぺたの赤いジャガイモのキャラクターが、自信ありげに親指を突き立てている、そんなキュートなロゴにも惹かれた。ジャンクな夕食だが、道すがらビールでも買って、旅館(ホテル)で頂くことにしよう。

(20)帰りは道を変えて、花楼街(ホワロウジエ)を歩いた。商業ビルの一階に、オシャレな大型飲食店が軒を連ねている。和風居酒屋あり、バルっぽい飲み屋あり、洋食屋あり。平仮名まじりで「らあめん鯖慕嵐」なんて謎な店もあるが、これが拉麺(ラーメン)屋ではない。豪勢な海鮮料理屋である。どこも武漢市民で溢(あふ)れかえっていた。そして此処(ここ)にも、鶏の各部位を調理したテイクアウト専門店が間に挟まり、行列を作っている。いずれも魅力的ではあったけど、気持ちはすでにオフモードになっていた。今夜は旅館でのひとり飯、新たな誘惑にかられようと、食糧は調達済みである。通行人をよけながら、ぼくはホテルへ向かった。そのモダンな街路には灯りが少ない。しかし、各飲食店の温かい照明が外まで差していた。たいていの店は構えが大きく内部がよく見える。客の談笑する声と表情もまた温かい。だから店の前を通るだけで、彼らの贅沢な時間を分けてもらっているような気分になる。海鮮鍋、美味そうだなあ。あっ、ビールを飲んでいやがる。気の置けない仲間と卓を囲んで、笑顔でお喋(しゃべ)りし、さかんに飲み食いする客たちを横目に、ぼくは一足早く酔いはじめ、旅館までフラフラと帰っていった。道すがら、店先にパラソルを出した個人商店で、啤酒(ビール)とスポーツ飲料とオレンジジュースを買って持ち帰った。レシートがなく記憶もあいまいなのだが、たしか合計13元だったと思う。店の前では、近所の住人だろうか、上半身裸のおっさんたちが闇の中で捕克(ポーカー)に熱中していた。

(21)部屋で食べたぶつ切りの鶏は、予想どおりホットで美味しいおつまみだった(ただ微辣と注文したのに、ぼくには少々辛さが堪えた)。やはり啤酒とともに、が美味しくいただく必要条件である。今度は店やメニューを変えて食べ比べしてみたいものだ。調べてみると、店名の韓の字は韓志剛(ハンジーガン)という創業者の姓で、これが地元武漢の連鎖(チェーン)店らしい。そして芋のほうは、素朴ながら間違いなく日本人に愛される逸品で、啤酒がいっそう進んだ。シンプルではあるけれど、揚げ加減とパウダーの均等なノリが絶妙なのである。当時口にした味を思い出すと、よだれが出てくるくらいだ。いまコロナ禍にあって誠に不謹慎な話ではあるけれど、もし将来武漢を再訪できたとする。そうしたら、ぼくは真っ先に、庶民から愛されていた、あの屋台街を訪れたいと思う(今度は先に啤酒でも用意して)。さて、かように簡単な夕食だったが、ともかく腹も膨れて確かな満足を得た。ほろ酔い気分になったぼくは、翌日のルートも予習せず、そのままグースカ寝入ってしまった。ちなみに、この日の歩数は2万5521歩。初めての武漢の夜がふけていく。

中山大道の対面から水塔(左)を見上げる。
水塔の脇を一本入ると「美食街」が…街灯は少ない。
簡易な椅子卓子(テーブル)を出す店も。
「老韓煽鶏」ピリ辛の鶏のぶつ切りを売る人気店だった。
左の店が「神農架洋芋」。現在の営業状態は不明…
(左)胡椒・クミン・トマトなど6種類の粉と薬味。(右)小7元。
花楼街の「らあめん鯖慕嵐」。鍋料理をつつく家族連れで大盛況。

この記事が参加している募集

#休日のすごし方

54,612件

#休日フォトアルバム

9,908件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?