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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第56回 夜の江漢路Walkers

(15)ぼくは煌(きら)びやかな江漢路(ジアンハンルー)歩行街に舞い戻った。長江沿いの沿江大道(イエンジアンダーダオ)から中山大道(ジョンシャンダーダオ)に至る、長さ700米(メートル)ほどの歩行者天国である(なお地図アプリによると、2020年以降の一時期、この通りも工事で通行止めとなっていたのだが、2022年12月現在は全面開放されている)。ホテル入住(チェックイン)前はそのさわりだけを観察、これより徘徊を再開する。道幅は15米強で、まるで真昼のように明るい。歩行者はというと、ベビーカーを押す夫婦や10代、20代の若者が中心層である。幼い子たちもキャッキャ言いながら夜の街を通りすぎていく(そういえば日本と比べると、中国はまだ子供の姿が目立つ)。また、路上がすこぶる明るいのは、これは街灯というより歴史建築を彩(いろど)るスポット照明のためである。威厳あるデザイン、とくに微細な凹凸(おうとつ)を美しく際立たせようと、なかなか凝(こ)った光の当て方をしている。そこにスポーツ衣料にシューズ、薬、子供服の専門店、そして雑貨のセレクトショップといった、しゃれた店舗のネオンサインが加わって、光と光がホコ天の上でまざり合い、からみ合う。またその光が、街路中央の樹木や歩行者の明るい色相の服に反射し、いっそう眩(まぶ)しさを極めている。ぼくは、目に飛び込む店舗名を百度百科(バイドゥーバイコー)、すなわち中国版の維基百科(ウィキペディア)で検索してみた。すると、2000年代に創業し、急拡大した中国系の小売チェーンが目白押し。荊州のショッピングモールでぼくは優衣庫(ユニクロ)の圧倒的存在感を紹介したが、此処(ここ)を歩いていると、優衣庫的成功物語に追随せんと息巻く、地元商売人の旺盛な商魂を見ている気分になる。しかも、言い忘れていたが、周囲はなお半分近くが工事中なのである。近い将来、いったいどのような繁華街が完成するのか想像もできない。どの都市をどう観察しても、つい同じことを呟(つぶや)いてしまうのだが、歩けば歩くほど、いよいよこの国が分からなくなる。ところで、これは格好良いぞと思う建物にはたいてい「歴史優秀建築」なんて刻まれた石が、およそ目線の高さに嵌(は)め込まれている。洋館洋館したゴテゴテの歴史建築に、阿迪達斯(アディダス)、耐克(ナイキ)が入居しているのはまことに圧巻である。とくに阿迪達斯が営業する旧中南銀行ビルは、1920年代に建てられた白亜の三階建てときてる。半円の窓や門、陽台(テラス)がなんともラブリーだった。

(16)若者の都会的な服装と身のこなしも見ものである。夕方は建物に視線をうばわれて見落としていたのだが、だんだん歩を進めるにつれ、他都市とは違うなという印象を受ける。浙江省杭州などと共通する、特異な洗練さが目につく。季節がら、道ゆく男性はTシャツにサンダルの格好が多いのだけれど、着用するアイテムの一つ一つ、気の抜けた物があまり見受けられない(ただし、ぼくらの年代以上のおっさんを除いてだ)。そして、あとで写真を見て気づいたのだが、みな精悍な顔つきで前を向き、姿勢が良い。多くの人が、自然とモデル的なのである(ひるがえって、われわれ日本人はモデルに憧れたり、服を選んだりするよりも、まずは自分の姿勢を直した方がいいのかもしれない)。さらに言うと、無目的でたむろしてオラオラしている者も醜い酔客もいない。まあたぶん、こんな場所で調子にノッて街の秩序を乱そうものなら、やさしい公安のお兄さんにお呼ばれするのが関の山だし、そもそも此処へ遊びに来ているのが、リッチでモテ要素の多い男たちなのかもしれないとも思う。けれども、武漢に到着してから数時間、ぼくが目にした若者たちの印象は一貫してこんな感じである。また女性のほうも背が高く、ビシッと決まっている人が目立つ。比較的地味でモサッとしているなと思えば、それはいずれも子供と買い物に来ているお母さんたちである(オシャレの世代間格差はさすがに大きい)。外貌だけではない。所作も都会的な印象だ。女の子の二人連れでも、ガールズトークで大爆笑したり話に夢中で他人とぶつかったりしている子はおらず、みんなごく自然体でスマートに歩いている。不用心な歩きスマホはほとんどいない。やはり、真っすぐに前を見ている。そのあたりに注目すると、近頃なにかと視野を狭めて(危険回避におろそかにして)ぼーっと歩いている東京人よりも、彼らのほうが都市民としてずっと洗練されているとさえ思う。ぼくはこの江漢路の歩行者天国でそんなことを痛烈に感じた。べつに愛すべき地元を貶(おとし)めたいのではない。有体(ありてい)にいうと、武漢の若者たちは何も物質的に豊かになっただけでなく、自信満々、余裕綽々で時代を謳歌している。なんだか悔しいよなあ、という気持ちになったのだ。まあ、ぼくの場合は大阪などへ行っても通行人の快活さに驚き、似たような感慨をいだく質(たち)なので、以上は「ひねた東京人なりの」繰り言としてご寛恕いただきたい。

(17)左手に地下鉄・江漢路駅があらわれると、道は中山大道とぶつかる。此処に至って明らかに歩行者の密度が増し、また気分が高揚してくる。周囲の顔を覗くと、心なしか年齢層が下がってきたようだ(二十代前半が中心と見える)。若いカップルや、腕をからませた女性二人連れが目立つ。加えて、買い物袋を手にする子の割合も徐々に高まってきた。ちなみに、中山大道には車両が通行するが、いま歩いてきた歩行者天国はこれを横断してもなお先がある。車道の向こうに視線を転じると、こんもりと枝葉を膨(ふく)らませている街路樹が見えた。それが黄色系の光でくまなくライトアップされて大変綺麗なのだが、幹の部分はというと、地元の青少年たちの群れに完全に隠れてしまっている。そうか、若者がお金を落とす、お手頃ゾーンはあちら側か。なんとなくそう理解した。だが、それと同時に忘れていた疲れがドッと出て、足が止まった。かれこれ、朝からかなり歩いている。この先の街区も見てみたいが、自重してそろそろ帰還しよう。ぼくは雑踏のなかを左折して中山大道に入った。もう一カ所だけ気になる場所があったのだ。

日没前にも通った長江側の工事区間。それでも混雑している。
完成区間になるとこの開放感と明るさ。
租界建築に似せた新しい建物も混じるが、なかなか歩き甲斐のある商業街。
アディダスが入居する洋館。照明もカラフルな色相。
中山大道に出て左折、こちらも立派な建築が続く…次回のお楽しみ!

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