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テレワークの寂しさ ひとの温もり求め

 一人暮らし×テレワークは危険だ。

 自分のことを、ひとりが大好き・ひとり上手な人間だと自負していたけれど、本性は寂しがりだったのだろうか なんて33歳にしてアイデンティティを覆してしまいそうになるくらい、たまの出社日に人と喋れることにワクワクしてしまう。わたしの所属する部署ではメンバー各々がテレワークと出社の日を自由に決めているので、「今日はだれがいるだろう」なんて通勤電車で考えてしまうことも多い。

 出社した朝は、目の前の席の同僚に世間話を持ちかけ、仕事中も人に話しかけられると嬉しく(面倒な仕事の用件でも)、メールより電話で連絡をとりたがり、昼休みは絶対に一人でご飯を食べたくない。退社後、夜ご飯も人と食べて帰りたいがコロナの手前、そこはガマン。

 最近の出社日はこんな感じ。危険だ。

 まず、仕事中の私語が増えている。その分仕事を進める手はペースダウンしている。翌日がテレワークだったりすると、契約書などを扱うわたしの業務では出社日のうちに印刷・発送準備等をしておく必要がある書類もあって、残業になることもある。昼間、余裕の風体でお喋りしておいて残業だと・・・!と、もしわたしが上司ならばギリィッ・・・!って歯軋りして評点を見直すかもしれない。

 昔勤めていた会社に森川さんという女性がいて、電話オペレーターの仕事だったにも関わらず自席に待機せず、日々、Aさんの席に行き報告、Bさんの席に行き連絡、Cさんの席に行き相談、Dさんの席に・・・と行った具合にフロア内を転々とされていた。それはほうれん草という名の「お喋り」であった。そんな森川さんに腹を立てた同僚が「森散歩」と皮肉たっぷりに名付けていた。最近そのことをよく思い出す。

 あの人も、寂しかったんだろうなぁ。

 本当は淡々と仕事がしたいのだけれど、寂しさと人恋しさに負けてついついお喋りしてしまうんですよね、わかります。それで自分の評価が下がってしまうと頭では分かっていても、興奮したワンちゃんが尻尾をちぎれんばかりに振って「かまってかまって!」と鼻息ハッハするかのようなありさま。コロナ禍の今、わたしにも近しい感情があることを認めます。

 「寂しさ」というのはひとに理性をここまで失わせるものなのかと考えずにはいられない。ちょうど11月くらいから恋人を欲しがる人が増えるのは、クリスマスに向けて彼氏彼女を作ろうと意気込むからではなく、暖かい金木犀の香りも薄れた、空気が静かに冷え他人の温もりが恋しくなるこの時期の気候が、ひとの「寂しさ」を増幅させるからかもしれない。

 ひとり暮らし×テレワーク

 ここに肌寒さが加わり、ますます自分を見失い人を求めてしまいそうなこの秋冬は、けっして理性の箍が外れないよう自らに禁酒を科そうと思う。

最後まで読んでいただきありがとうございました! あなたのスキやフォローに勇気をもらって毎日いろんな気持ちを素直に書くことができています。