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Spotify「Linkin Park 20」

世代交代の当事者になるのは、立場によって嬉しかったり悲しかったりするものです。ただ、絶対的に嬉しいのは、自分の子供によって乗り越えられる場合。ぼくにとって Linkin Park は、ロックの世代交代を知らしめてくれた存在であり、子供の成長を教えてくれたバンドです。かけがえのない。

あれは、2004年だったでしょうか。家族そろって夕食を取っていたテーブルの中央に、次女が突然CDプレイヤーをドンッと置いたのは。「な、これ聴いて!」。スピーカーから飛びだしてきたのは、ヘヴィなギターの爆音と金切声のシャウト。妻は思わず 3㎝ 跳びあがり、目玉をひん剥いて卒倒しそうでした。ぼくも一瞬たじろぎましたが、妻のリアクションが反対に冷静さを呼び戻しました。ああ、四半世紀前のぼくがここにいる、たしかオカンもこんな感じだったなあ。「す、すごい迫力やな」「チョーかっこいい、このヴォーカル」「なんてバンド?」「リンキン!」。

このときの音源が Linkin Park 衝撃のデビュー作「Hybrid Theory」。Chester Bennington の強烈なヴォーカルと Mike Shinoda の知的なラップがシナジーを産み、ラウドロック、ヒップホップ、インダストリアル、エレクトロニック、が渾然一体となったスケールのデカいニューメタルを現前化させた傑作です。しかし、哀しいかな (正直)、ぼくにはその良さが理解できませんでした。当時はシーンの主流から離れた領域を掘っていたからで、例外的にちゃんとロックを聴いたのは、2000年前後までの Radiohead ぐらいでした。ぼくの音楽的ルーツは、70年代のプログレ。90年代以降はワールドミュージックやエレクトロニカにプログレ的な新解釈を求め、たしかこのときはポストロックに関心が向いていたのです。

とはいえ、娘のお気に入りとなれば、そりゃもうパパは必死にお勉強しましたよ。少々メインストリームから遠ざかっても、年季が違います。サウンドの特質はすぐに掴み、歴史的な位置づけも感覚レベルでバッチリ納得しました。実際、エモーショナルで懐かしい曲調は、デフォルトでぼくの好みでした。唯一ヒップホップを除いて。そう、ヒップホップだけはそれまで聴いてこなかったので、あまり深く刺さらなかったのです。そのラップ・パートが分からなければ、リンキンの魅力も半減。「だからさ、どこがいいのか教えてよ」「いや、口で教えるもん違うやろ、ロックやで」。

そのとおりです、娘よ、きみは正しい。ぼくはロック精神のなんたるかを数十年ぶりに思い知らされたのです。

この時点で 2nd「Meteora」もリリースされていたので、リンキンはすでに世界のトップランナーに位置していました。それらのCDを次女から借りたのは、よくよく振り返れば、とても意義深い人生の節目でした。子供から提供される? 親の知らない世界の情報を? そうです、家族でカラオケにいけば「Breaking The Habit」の英語歌詞を諳んじていることに驚いたり、子供たちだけでサマソニへ行くことを心配したり、いつの間にか、子供たちは親世代を超えていました。その現実を教えてくれたのがリンキン、ロックの真髄である問答無用の若々しさに溢れていました。

表層的なサウンド面の新しさはさておき、ロックの音として見ると、リンキンはすごく古典的です。ギターリフもグリッチの使用もきわめてオーソドックス、ところが、次の二点でぼくは世代交代/時代の変化を思い知らされます。ひとつが、スタジアム・ロックの規模の拡大。ITの普及もあり、桁違いなファンの支持は爆発的セールスに直結、大人数を収容できるライブ会場はおのずと限られてきます。もうひとつが、ロックスターの偶像観の相違。70年代からロックを聴いてきた身には、かつてのアウトローなイメージのないところに違和感ありあり。

だって、Chester のあのスキンヘッドに全身タトゥーですよ。ぼくらの世代は反射的に、酒、ドラッグ、セックス、自堕落、破滅、を連想します。しかし、今日的ロックスターはそれではダメらしい。それは、リンキンの 2ndまでの歌詞に F-word が使われなかったことからも分かりますが、この品行方正なアティテュードは、やはりギャップが著しかったのです。たとえリーダー/精神的支柱 Mike のバランス感覚だとしても。一周まわってロックの温故知新が起こっても、どうやら後期資本主義とやらのショービジネスはまるで違うものらしい。この違和感——。

あるいは、その違和感はなにかの暗示だったのかも……。表向きの言動がどうであれ、良くも悪くもすべてが仮面なら……。

そして、ぼくはこのあとに続く接続詞を知らないのです。順接なのか逆説なのか、どう続ければいいのか、分かりません。たぶん前節までの文章とのあいだには、ただ断絶があるばかりです。多かれ少なかれ、誰だって心の奥底には闇を抱えているでしょう。その暗さは他人には踏み込めず、軽々に語ることはできないのだと思います。そう思うことで、多くのリンキン・ファンは Chester のあの愛らしい笑顔を、外見とのギャップのあまりイチコロでほだされてしまう人懐っこさを、永遠に留めるのではないでしょうか (2017年7月20日・縊死)。

率直に言って、ぼくにとって「Likin Park 20」は涙なしでは聴けないプレイリストです。どんなに重低音で過激な音像であっても、最後は穏やかでレトロなメロディーが胸に残ります。まだ現役であるにも関わらず (ファンにはお叱りを受けるでしょうが)、Chester がいなくなった Linkin Park は、もうリンキンではありません。そして思うのは、次女とのおもいでの中心がリンキンでよかった、と。

もし、次女があの夕飯時に別のバンドを紹介していたら、リンキン以外の中途半端なロックを聞かせていたら、きっとぼくは認められず激しく仲違いをしたでしょうから。そういう意味で、ぼくが Linkin Park (Chester) に捧げる感謝は永遠に変わりません。

R.I.P. & Thanks Chester.
この永遠の紡ぎかたは、しかし遺された者にとって辛すぎます。




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