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1973年プログレ絶頂説

ひとつのムーブメントの始まりは、その終わりに比べると、わりと定義しやすいものです。スーパースターの登場であったり、エポックメイキングな作品のリリースであったり、ちょっとした歴史的事件が刻まれるからです。しかし終わりのほうは、そうはいきません。なんとなくフェードアウトしていく場合もあれば、細々と命脈を保つ場合もあり、そもそも何をもって終わりと見なすのか、はかなり議論を要します。たぶんそれは、新しい次のムーブメントに取って代わられたときに、おぼろげなコンセンサスとして見えてくるのでしょう。歴史のある時点から振り返ったときに。

プログレの起源は、King Crimson がデビューアルバム「クリムゾンキングの宮殿」を発表した1969年である、というのが通説です。そして、一時代を築いたプログレが結果的にピークを迎えたのは1973年だった、というのが、単なる通説を超えた、ぼく自身の経験からも言える見解です。

5大バンド1973年

1973年プログレ絶頂説の根拠は、まずもって英国5大バンドの不世出作がその年に集中したことです。

Pink Floyd「The Dark Side Of The Moon」
    
King Crimson「Larks' Tongues In Aspic」
       
ELP「Brain Salad Surgery」
  
Yes「Tales From Topographic Oceans」
  
Genesis「Selling England By The Pound」

原題表記のみ

いずれ劣らぬ傑作ぞろいですね。Pink Floyd「狂気」はイギリス家庭の一家に一枚は必ずあると言われたほどの商業セールスを記録 (約5000万枚)。「太陽と戦慄」は70年代後期 Crimson がフリー・インプロヴィゼーションによる実験性を世に放った金字塔でした。Yes に至っては前年に最高傑作「危機」を発表した勢いのまま世界ツアーを敢行、「イエスソングス」という 3枚組ライブ盤をも同年にリリースしていました。

英国プログレ1973年

これら一部のトップバンドだけが傑作を発表したのではありません。並みいるイギリスのアーテイストたちが次々と秀作を、あるいはそれに類する珠玉のプログレ作品を発表したのです。いわゆる「層の厚さ」。ぼくの LP コレクションに限っても、1973年リリースは次のとおりです。

Caravan「For Girls Who Grow Plump In The Night」
Henry Cow「Leg End」
Mike Oldfield「Tublar Bells」
Renaissance「Ashes Are Burning」
Gentle Giant「In A Glass House」
Greenslade「Bedside Manners Are Extra」
Rick Wakeman「The Six Wives Of Henry Ⅷ」
Darryl Way's Wolf「Canis Lupus」 
Elton John「Goodbye Yellow Brick Road」
Peter Hammill「Chameleon In The Shadow Of The Night」

※ちょい惜しい1972年リリース※
Jethro Tull「Thick As A Brick」
The Moody Blues「Seventh Sojourn」
Curved Air「Phantasmagoria」
David Bowie「The Rise & Fall Of Ziggy Stardust & The Spiders From Mars」

原題表記のみ

Elton John、David Bowie といったソロ・アーティストのアルバムまでが、コンセプト色の強い芸術性に彩られたのは、まさに時代がプログレの影響下にあった証拠でしょう。また「Tubular Bells」や「Leg End」といった結果的にプログレの領域を広げた名作もこの年に発表されたのは、やはり刮目に値します。惜しむらくは VDGG の名前がないことですね ( Peter Hammill のソロはピックアップしましたが)。1971年「ポーン・ハーツ」発表後に VDGG はいったん解散しており、このプログレ絶頂期とは無縁だったのです。そういう意味では商売っ気がなかったというか、時代感覚に疎かったというか。

Camel についても、メジャーレーベル移籍後の実質的 1st ともいえる「蜃気楼」発売が1974年なのです。これまた不運な星回りのもとで活動していた、と言えるでしょう。両者ともうまく1973年に照準を合わせていれば、もっと売れていたかもしれません。歴史の「タラ・レバ」ってやつです。

1974年の違和感=ダウントレンド入り

ところが、祇園精舎の鐘の声は聞こえはじめます。5大バンドの次作における英国トップチャートの推移を見てください。

'73「Larks' Tongues In Aspic」20位
'74「Starless And Bible Black」28位 
'74「Red」45位

'73「Tales From Topographic Oceans」1位
'74「Relayer」4位 

'73「Brain Salad Surgery」2位
'74「~ Ladies & Gentlemen」5位 

'73「Selling England By The Pound」3位
'74「The Lamb Lies Down On Broadway」10位

'73「The Dark Side Of The Moon」2位 (全米1位)
'75「Wish You Were Here」1位 (全米1位)

原題表記のみ

Pink Floyd のみ例外ですが、他のバンドは等しくチャート順位を落としています。この当時の Floyd は全米1位をも獲得するほど世界的なメジャーバンドに成っていて、マーケットの規模自体が違ったという理由があります (それにしても King Crimson の孤高ぶりには驚きますが)。

しかも、ただ順位を下げたのではなく、74年の作品にはそれぞれ前作以上の熱量と精力が込められていました。ELPの「レディース&ジェントルメン」は「イエスソングス」の向こうを張ったライブ盤 3枚組、Genesis の「眩惑のブロードウェイ」にしても「海洋地形学の物語」を意識した 2枚組トータルアルバムでした。Crimson はもっと悲惨で、あの「レッド」に至っては45位ですよ。後年ロック史の名盤に数えられるアルバムでさえ、こんな有様だったのです。まるで満潮が引いていくように、あるいは背中を向けた恋人 (元カノ)に全力ですがるのが逆効果であるかのように、一般リスナーはプログレから離れていきます。重い、長い、大仰で難解、聴衆を選ぶって何様……、人の心は移ろいやすいにしろ……。

1976年パンクブーム到来

そして1976年、Sex Pistols 「Anarchy In The UK」がリリース。イギリスでもいわゆるロンドン・パンクが一世を風靡します。

いま思うと、あのパンクブームもただの反体制運動に過ぎなかったのでしょう。当時はその攻撃性やファッション性が魅力的に映りましたが、しかし時代はつねに変わります。グランジ、インダストリアル、オルタナティブ、と本質的に似たようなムーブメントはいくつも起こりました。相対化してしまえば「創造と破壊」の振子運動における一極でした。そして元来ロック・スピリットとはそういうものです。若者が旧世代のエスタブリッシュメントを破壊しようとするのはすなわちロックそのもの、という年寄臭いまとめに自己嫌悪しながら、往時のプログレの黄昏を偲ぶことにします。

それでは、また。
See you soon on Spotify (on note). 

追記――。本場英国で1973年にピークを迎えたプログレですが、他方ではその影響 (遺伝子) が海を渡り、それぞれの文化/風土と融合します。当然、各国で花開くまでには数年のタイムラグがありました。ただ、唯一イタリアだけは例外でした。まるで英国と足並を揃えていたかのように、1973年には傑作誕生が重なります。イタリアン・プログレの歴史的名盤ばかりなので、おまけにそのリストを付記しておきます。

PFM「Photos Of Ghosts」
I Pooh「Parsifal」
Osanna「Palepoli」
Banco「Lo Sono Nato Libero」
Cervello「Melos」
Area「Arbeit Macht Frei」
Le Orme「Felona E Sorona」
RDM「Contaminazione」
Semiramis「Dedicato A Frazz」
Muzeo Rosenbach「Zarathustra」

☆ちょい惜しい1974年リリース☆
Arti E Mestiei「Tilt」
Delirium「Delirium Vol.3」
Opus Avantra「Introspezione」
Quella Vecchia Locanda「Il Tempo Della Gioia」

thanks to I 藤くん


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