鶏が先か卵が先かみたいな、自己肯定感と進化の話
とある銀行を舞台にしたドラマに、こんなセリフがあったのを覚えているだろうか。
そう、半沢直樹である(古い話題で申し訳ない…)。このセリフからは、銀行で働く人間の、いやおそらくごく一般的な銀行のイメージが強烈に表されている。
つまり銀行はそこいらの一般企業よりも立場が上なのだ。なにせ、融資を司る彼らは企業の生殺与奪の権を握っているわけなのだから。
…なあんてことをずっと思っていたわけだけれど、どうやらそんなことももう過去の話かもしれない。
上記記事を要約すると、「銀行マンの仕事がシステム化されていき、これまで情で繋がっていた企業との関係がサバサバしてきた。結果として企業にとって銀行は”融資さえ通ればどれでもいい存在”になっちゃった」という内容である。
「この銀行はこの担当者がいるからこういうことまでやってくれる」「この銀行はあまりいい提案をしてくれないから取引はやめておこう」なんてことが無くなっちゃったよ、ということらしい。
DXというのは業務の生産性を上げてくれるけれど、あらゆることが効率化されていく世界はずいぶんと味気ないものだな、なんて読んでいて虚しさを覚えた。
私は別にウェットで人情味あふれる人間ではないのだが、仕事が味気なくなる⇨人間味がなくなる⇨人間がいらなくなるというスパイラルが目に見えて加速しているようでテンションが下がってしまう。
楽しく仕事をしたいのに、まるで楽しい仕事がどんどんなくなっていくようで。
仕事が効率化されるのは良いことなのはわかる。でも、最近はどうも「仕事を効率化させプライベートを充実させる」ことだけが人々の目標になっているような気がして、私はなんだかその風潮に乗り切れない。
あらゆることが急速にシステムに代替されて、やることがどんどん最小限化されやりがいが減っていく。
仕事だって人生の一部だから、私は仕事をしている時間だって楽しみたいのに。
「あーあやってらんねえ。今仕事が楽しいって感じてるのは、AI分野で活躍している専門家くらいじゃないか?」
しかし、そう感じてしまうのは私が仕事というものを「今ある枠組」の中でしか考えられていないからだろう。
今ない仕事を作り出すとか、新しい価値を提供するとか、それができる人は常にワクワク働いている。
私が上記であげた銀行の例を「つまらない現状の一例」と思ってしまったのも、「銀行は預かったお金を融資で運用する」ことが仕事としか考えられていないから、システム化された結果銀行が今後どういう価値を提供していく存在になるのかを思い描く能力がまだないから。
私が今仕事を楽しめていないのも、自分が今後どういう新しい価値を提供していく存在になるのか全く見えていないためだ。
でもそもそも自分に自信がないから、「自分にはどういうことができるから、どういう価値を提供していけるか」なんてないのだ。できることが少なすぎて。
そうなると、新しい価値提供をしていける人っていうのは自分に自信があって自分の価値がわかっている人間だ。
なら自分に自信のない私は、まずは何から始めればいいのだろう…。そんな暗すぎることを考えてしまい、一層気分が落ち込むばかりだ。
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