読まれない文章は、駄文なのか?
理系ウィーク最後の記事になりました。
ほとんどの方にとって馴染みのない理系ネタを、連投しまくってます。なので、多くの読者が、もうすでに白目をむきかけていることかと思います。
これ以上、オーバーキルするのは酷なので、最後は軽めの記事でいきます。(土日が友達との予定で埋まっちゃって、本当は書く時間がしっかりとれなかっただけなのですが。。。)
今回の話は、数学の「対偶」を使って、文章について考察したもの。
「AならばB」という命題に対して、「BでないならばAでない」という命題のことを、対偶とよびます。
高校数学で習ったはず。細かいことは捨てて、もうどんどん進みます。説明に時間かける余裕なかった、ごめんなさい。
一応図を載せておきます。どうぞ忘れちゃってね。
そして対偶の面白い性質として、次のようなものがあります。
「AならばB」が正しい時、その対偶である「BでないならばAでない」も正しい。
うわー。堅苦しい。数学が嫌いになるって、こんなの。ロジック振りかざしてる感、ぱないじゃん。
でもこれを文章力について当てはめると、興味深いのではないかと思ったのです。
今回のテーマは、そのことについてです。ではさっそくいきましょう。
「上手い文章は読まれる」という命題が、正しかったとします。
この命題は正しそうだ。そりゃあ、文章力がある記事は、多くの人に読まれるでしょう。
そして、対偶を考えてみます。「上手い文章は読まれる」という命題の対偶です。
それは、こうなります。
「読まれない文章は駄文である」
いや、これは間違ってない?
1年間noteの世界にいて、たくさんの文章に出会ってきたけど、「この文章めっちゃいいのに、なんでスキの数が伸びないんだろう?」と感じることは、何度もあった。
すごく美しい文章なのに、「なんで多くの人に知れ渡ってないんだろう?」と思う記事をいっぱい見てきた。
ここで初めに少し説明した、対偶の性質に立ち戻る。
それは、「AならばB」が正しい時、その対偶である「BでないならばAでない」も正しい、ということだった。
先ほどの文章力についての命題を、このことに注意して、もう一度考える。
「上手い文章は読まれる」という命題が正しいと思っていたが、その対偶の「読まれない文章は駄文だ」は間違っているだろう。
ということはつまり、「上手い文章は読まれる」という命題を、正しいと仮定したのが、誤りだったのだ。
頭がごちゃごちゃしそうだが、対偶を使えばこう結論づけられる。
僕の記事の中で、なぜかスキが伸びる記事があったが、あれは文章が上手いのではなく、たまたまだった可能性が高い。
運もかなり関係していると思われる。
たまたま最初の方にスキがついて、その後に読む読者が「スキが多いから、たぶん良い文章に違いない」と思ってさらにスキが伸びた可能性は、大いにある。
結局、何が言いたいかというと。
運もめっちゃ大事よねー。
正直何が当たるかわからないから、淡々といつも通り続けることが大事だと、1年間続けてみて思いました。
バムさんも理系ウィークお疲れ!!
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