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誰かに文章をおすすめされるということ

誰かに自分の文章をおすすめされるというのは、このnoteをやってなかったら叶ってなかったと思う。


中学生の時に国語の先生に作文を褒められたことがあったが、それは僕と先生との間でのやりとりでのみだった。先生が僕の書いた文章について、クラスのみんなの前で説明するなんてことはなかった。

もしやられたとしたら、それはそれで恥ずかしかったのだけど。たぶん実際のところは、クラスのみんなに勧めるほどの文章ではなかっただけだと思う。


あれから月日が流れ、こうしてネットで自分の文章をさらし続けているわけだけど、ありがたいことに記事をおすすめしてくださったり、引用してくださる方が何人かいらっしゃった。

本当に頭が上がらない。駄文まみれな記事を量産しているのに。それと、お返しができてなくて申し訳ありません。


つい最近は伊藤翼さんが『次元を上げる方法』という記事を紹介してくださり、「伊藤翼さんのおすすめで来ました」という方もいてくださった。たぶんおすすめされなかったら、こんなに読まれなかった記事だったと思う。

Amazonで商品を買う時はレビューを参考にして決める。
ご飯を食べる店を探す時も口コミを見る。

やはり他人がおすすめするものは安心感がある。その店や会社自身がおすすめするより、誰かがおすすめしているほうが説得力がある。自慢話を聞かされても、ぽかーんとしてしまうのと同じ。うわさ話で流れてくる良い評判のほうが信頼できる。

人に紹介されるのってそういうことなんだな。



自分は誰かの文章を読んで感動しても、紹介したことがあまりない。自分が間違った解釈をしてしまって、トンチンカンな感想を書いてしまったらどうしようと思って踏みとどまってしまう。

ここで、自分の記事が紹介された側になったときの気持ちを考えてみる。どんな解釈をされようが僕は全く気にならない。読者一人ひとりにそれぞれの受け取り方があるから。紹介されるのは、ただただ嬉しい。

純粋に自分が良いと感じたのは、紹介していこうと思う。それはお返しをしてもらうためではなく、曇りのないピュアな気持ち。もちろん自分の好みの文章があるので、引用する記事や紹介する記事に偏りが出るのは仕方がない。

申し遅れましたが、実はいまのプロフィール文は伊藤翼さんのこの記事を参考にしています。

僕の技術が足りないのでアドバイス通りにはできていませんが、この記事にひそかに影響を受けていました。

色んな例が挙げられていて、読み手側も「自分だったらどうするかな」とか「あの人のプロフィールは自然とこれに近いことやってるな」と想像を膨らませながら読めるので、読んでて楽しかったです。

ありがとうございました。


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