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そんなに頑張る必要あるのかな?
はじめにある古代の話をしたいと思う。この話はピュロスがイタリアに攻め込もうとしたときの話だ。彼の重臣であるキネアスは、彼にこう言った。
「なぜ左様なことをなさるおつもりなのですか?」とキネアスは訊いた。
「イタリアの支配者になるためだ」とピュロス。
「それで?」
「ガリア、そしてスペインへ行く」
「次は?」
「アフリカを征服して‥‥‥あとはゆっくりするさ」
「ゆっくりすることなら、今でもできるではありませんか。なぜ無用な危険を?」
この話は現代に生きる私たちにも素晴らしい示唆を与えてくれる。いや、むしろ現代人にこそ、この戒めをしっかりと頭の片隅に入れておかないといけないのではないかと思う。まず、その理由について述べる。
簡単に他人と比較される時代
スマホやSNSが登場して私たちの生活は快適になった。世界中のたくさんの人たちと簡単につながれるようになったし、YouTubeなどの無料で楽しめる娯楽もある。
しかし、SNSで世界中のたくさんの人たちと簡単につながれるということは裏を返せば、簡単に自分と他人を比較できてしまうということである。
SNSをしているとフォロワーが多い有名人のツイートや、成功して華やかな生活を送っている写真など、自分よりうまくいっている人たちの投稿が目に入ってくる。
そうした投稿を目にしているうちにいつの間にか、自分とその人たちを比べて劣等感を感じるようになっていく。
フォロワーの数が表示されたり写真を綺麗に加工できたりするのも、劣等感を感じる温床になっていると思う。
そして、劣等感を感じると「今よりもっと頑張らなけらば」という気持ちに駆られるようになる。
そうやってSNS上の他人に負けないように頑張っているうちに、多忙な生活になり、本来あったはずのゆっくりする時間も無くなっていくのだ。
自分にとって大切なものを見失ってしまう
私たちは、ついつい「今よりも、もっと裕福になって、有名にならないと幸せになれない」と思ってしまいがちだ。
でも、幸せはもっと身近にあるのではないだろうか?わざわざ成功というルートを通らなくても、喜びに満ちた生活を送れるのではないだろうか?
私は大切な人と他愛のない会話をして過ごす時間、映画を観たり本を読んだりしてゆっくりする時間、何気ない自然の中で散歩する時間などにふと、幸せを感じる。
多くの人も私と同じように、ゆっくり自分の好きなことができる時間に幸せを感じるのだろうと思う。
私たちは気を付けないと自分にとって大切だったことをなおざりにして、成功を追い求めてしまう。
しかも成功による幸せは長続きしない。
旧石器時代の危険がたくさんある環境では今の生活に満足せず、次の新たな成功を追い求める遺伝子を持った人間の方が生存に有利だった。
旧石器時代と現代の人間の遺伝子はほとんど変わっていないので、現代に生きる私たちも、「成功による幸せが長続きしない遺伝子」を受け継いでいる。
しかし、現代は旧石器時代と比べてかなり快適になり危険も少ないのでこの遺伝子と現代の環境はミスマッチしている。
現状に満足せず新たな成功を追い求めるあまり、自分の自由な時間を失ってしまうことによる問題の方がが大きくなっているのではないかと思う。
私もこのワナに陥っていた
私も2022年11月ぐらいにTwitterを始めたのだが、Twitterで他の人の投稿やフォロワーの数を見ているうちに劣等感を感じるようになっていた。
「もっとフォロワーの数を増やさないと」とか思って、頑張るうちに自分にとって大切なことにかける時間が少なくなっていた。
成功に魅力を感じることは人間の遺伝子に刻まれたことなので、注意しないと自分の大切なものを見失ってしまうということを実感した。
もちろんフォロワーが増えて自分の記事がより多くの人に読まれることはうれしいのだけれども、一人でも私の文章を読んで何かいい影響を与えられるだけで私は大いに幸せだし、それが私の書く意味になる。
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