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文章にも好き嫌いはあると思う

ユダヤ教の教え

有名な言葉なので、知っている人も多いかもしれないが人間関係にまつわるユダヤ教の教えとして、次のようなものがある。

10人の人がいるとしたら、そのうちの1人はどんなことがあってもあなたを批判する。あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。そして10人のうちの2人は、互いに全てを受け入れ合える親友になれる。残りの7人は、どちらでもない人々だ。

ユダヤ教の教え、『嫌われる勇気』より

この教えは、「全員から好かれることはできないから、嫌われる勇気を持ちなさい」ということを伝えるために、引用されることが多い。

私はnoteで文章を書き始めてから、このユダヤ教の教えが文章にも当てはまるのではないかと思うようになった。


10人のうちの2人はフォローしてくれたり、たくさんの記事にスキをしてくれるような方だ。コメントまでしてくれる人もいる。

まだまだ良い文章が書けていないと思うけど、私の考えに共感してくれる方がいてくれるのだ。感謝しきれない!



10人のうちの7人は、たまたま私の記事を見てその記事が良かったときに反応をくれる方だ。

他の記事は良いとは思えないけど、ある特定の記事はスキという反応をしてくれる。でも、フォローまでしようとは思えないアカウントに認定されている。



そして最後の10人のうちの1人は、自分の中でどんなに素晴らしい文章が書けたとしても良い文章だとは思ってくれない方だ。

そういう方からすれば私の文章は、「こいつ、何言ってんだ」とか「気持ち悪い文章書くなよ」とか思っているかもしれない。


10人のうちの2人に届ける気持ちで

人間関係と同じで読む人がたくさんいれば、それだけ私の記事を低評価をする方も多くなるだろう。でも、それが普通だと思う。誰からにも良く思われるように書いた文章は、とてもつまらなくなると思う。

そもそもそんな文章を書くのは不可能だと思うが。

noteを初めて一ヶ月ぐらいしか経っておらず、まだまだフォロワーの数は少なくて私の文章は他の方の記事の中で埋もれてしまっている。でも数少ない私のフォロワーの方は、私の記事を読んでくれて好意的な反応をくれる。


「もっとたくさんの人に読んでほしい」という気持ちが先走りそうになるが、最近はフォロワーの方にだけでも、私の文章が届けば良いじゃないかと思えるようになった。

その他多くの人に、私の文章が快く思われなくても。

この文章もそういう気持ちで書いている。

この記事を読んでくれたあなたが、10人のうちの2人であったら嬉しいな。

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