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長い時間をかけて身につけたもの

僕は高校時代、ワンダーフォーゲル部に入っていて、部活に打ち込んでいた。人生で一番、熱中したものかもしれない。

ワンダーフォーゲル部は簡単に言えば、山岳部みたいなもの。山登りの活動に加えて沢登りや夜間歩行などもしたりする。


僕は持久力に昔から自信があったので、山登りという重い荷物を背負いながら山を登ることは、周りの人に比べて得意だった。

人間というのものは得意なことをさらに伸ばしたくなるらしく、自分ももっと早く山登りができるようにトレーニングに励んだ。というのも、この部活にも大会はあって、山を登るタイムを競うからだ。

山登りのタイムを早くするには、持久力と筋力をつける必要がある。片方だけあっても、もう片方がなければタイムは早くならない。掛け算みたいな感じだと思う。

だから僕は日頃のトレーニングで、ランニングと筋トレ(特に体幹トレーニング)を重点的にやっていた。で、あとは実際の山登りで実戦を積んでいった。

部活は3年の夏までなので、約2年半このトレーニングを続けたことになる。その当時はただ目の前の練習を頑張ることしか考えてなかったので、振り返れば長い時間をかけて取り組んでいたんだなって感じる。




そして今現在。部活を引退して約5年が経った。

少し前に、友達とランニングをした。久しぶりに走ったのに、体力がまだ残っていてびっくりした。高校時代に走り込みでつけた体力が、いまだにキープされていたのだ。

もちろん全盛期ほどの体力はないけれど、ランニングしていても息があまり切れなかった。久しぶりに走って、ヘロヘロになる自分を想像していたのに。

腹筋も、まだうっすらと残っている。しばらく腹筋なんて鍛えてないのに、当時しっかり割れていた腹筋の線が、かすかに生きている。

僕はこう感じた。「長い時間をかけて身につけたものは、すぐには無くならない」と。長期間かけて積み上げたものは、無くなっていくときも、ゆっくりなんだと。

逆に短期間で身につけたものは、無くなるのも一瞬だ。テストの前日に一夜漬けで覚えた知識なんて、テストが終わったその日に忘れている。いや、なんならテスト中に忘れるレベルだ。



書くという努力も、そうであって欲しいな。長い間コツコツ書き続けて得た文章力が、書くことから離れてしまったあとでも、なが〜く残り続けてくれるといいな。

そんなことを思いながら、今日も文章を書いている。

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