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恥ずかしさとの戦い

ネットで文章を書いていることは、友達に知られている。

アカウント名も覚えられているので、友人が思い立てば気軽に僕の記事を読める状態だ。「いつも目を通しているよ」とは言ってないが、陰でこっそりと読んでいるのかもしれない。


恥ずかしい。


照れくさい。穴があったら入りたい。顔から火が出る思い。

「へえ、実はこんなことを考えていたんだね」と自分の内面が暴かれるのが、とても恥ずかしい。文章を書いて公開しておきながら、何言ってんだって話ですが。

これまでの人生を振り返ってみるに、僕はできれば自分の内面部分をさらけ出さないように生きてきた気がする。「殻に閉じこもりがちだよね」と言われたこともあるぐらい。


人の前で歌う、役を演じる、踊る、スピーチをする。

そういった自分を表現をする活動は、苦手だった。人に頼まれてやったことはあるが。高校時代、生徒会に立候補する友人を推薦するためのスピーチをやったりとかね。

根底にあるのは、自分の内面を知られた時に、周りの人から拒絶されたらどうしようという不安。そして店のシャッターを下ろすように、心を閉ざしてしまう。心を開くまでに至るは、かなりの時間がかかってしまう。


歌詞を書いているアーティストや作家の方たちって、自分の本音の部分が多くの人に知られてしまうことへの恥ずかしさはあるのかな。

昔、オードリーの若林さんが「本棚を見せるのは、恥ずかしい。肛門を見せるようなもの」って言ってて、それに近いレベルの恥ずかしさなのではないかと個人的に思った。

いや、表現活動を生業にされている方たちは、もうそんな恥ずかしさはとっとくのとうに捨て去り、「自分の本音と正面から向き合って作った作品が共感を呼び、誰かを救う可能性がある」というモチベーションで活動を続けているかのしれない。

当たり障りのないことが書かれている歌詞や本より、ガツンと頭を殴られたような衝撃を感じるほどの真意が伝わってくるものの方が、受け取り側としては嬉しい。



そう考えると、これからも自分の気持ちを素直に書き続けるべきなのだと感じた。またそれが次第に、殻に閉じこもりがちな自分を打ち破るようになることに、つながるかもしれない。


この記事を書くのも、超恥ずかしかった。



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