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公衆電話

6・隔離室

『 蛍の光 窓の雪 書《ふみ》読む月日重ねつつ 
  何時しか年も すぎの戸を開けてぞ 今朝は別れゆく

  止まるも行くも限りとて 互《かた》みに思う千万《ちよろづ》の
  心の端を一言に 幸くと許《ばか》り歌うなり

  筑紫《つくし》の極み陸《みち》の奥 海山遠く隔つとも
  その真心は隔て無く 一つに尽くせ国の為
 
  千島《ちしま》の奥も沖縄も 八洲《やしま》の内の護《まも》りなり
  至らん国に勲《いさお》しく 努めよ我が兄《せ》恙《つつが》く 』

 隔離室は囲いのないトイレが隅にある他は寝具一式と白を基調にした壁面、クリーム色のリノリームの床であっけらかんとした空間になっていた。外部から出入りする細い通路があって、医師や看護士は定期的に訪れた。居住空間はそこより一段高いスペースになったいた。

 入院してから僕がそこで何をしていたかといえば、混乱を繰り返す気分を鎮めるのに必死になって膨大な一日に立ち向かっていたという以外ない。
 投薬もさることながら、それが治療の全てだったと言っていいと僕は今でも思っている。

 隣室のT君と時々以心伝心で無駄話や差し障りない情報交換することもあったが、大半は孤独の内に発症時の脈絡のない記憶の反芻と、どん底まで落ちていく感情の渦に巻き込まれないように自己を支えるため、思い出す限りの歌を声に出して唄った。特に発症した時のイメージで強く感動した「蛍の光」は飽きることなく覚えていた一番の歌詞を繰り返し唄った。それも、氣持ちを込めて祈るように切々と唄い陶酔に浸った。

 シャワーを許されて2・3日後に入浴も許可され、初めて風呂の脱衣場で直接出会った。メガネをかけたひょろっとした長身の若者だった。あまりにも普通な患者だったので拍子抜けした。
 彼が院長と以心伝心の間柄で僕を監視しているというのは、やはり僕の妄想でしかなかったのかもと思った。

 しかし、裸になって浴槽に入った時、
「オレの裸見て興奮しないでよ!」
と、T君は笑った。一言も話してないのに彼は僕が男性の体にも興味を持っていることを知っていた。
 僕はタジタジとなって、
「何をバカなこと言って!」
と言い返すのがやっとだった。
 
 今もって謎は深まるばかりの入院生活だった。

 食堂にいるときは、もうテレビや新聞なども自由に見たり読んだりしてもよかったが、僕はもうそんな情報にあまり関心は失くなっていた。
 
 隔離室には深い絶望があった。そこは否応なく社会からの落ちこぼれ=社会的死を自覚させられるのに十分な地獄だった。波のようにその意識に苛まれる時があり、救いようのない闇のどん底へ突き落された。
 しかし、それでも尚存在し続ける肉体と孤独があった。

 時間は嫌になるくらい長く果てしなくあった。延々と同じ歌を唄ったり、堂々巡りの半生に一日を費やすうちに、時間は連続する流れとしてでなく、パラパラ漫画の一コマづつが際限なく繰り出されているのを感じるようになった。

 絶望は相変わらず強固ではあったけれど、全く別の感情の湧いてくるときもありそうした時、外界からの気配が渦を巻いて侵入して来るのに気付いたりした。

 隣室のT君の呼びかけのように思うことも多かったが、動物を率いた女神のような存在も二度三度近づいて来て、僕に面会を迫っているように思われた。獣臭のようなものに取り囲まれると僕は全裸となり、自然と勃起した。視線のようなものが注がれていると興奮はさらに増した。


 コロンブスの卵というか、コペルニクス的転換というか・・ある認識が一定の人に受け入れられた時点で大多数の世界観が一変してしまうことがある。
 アインシュタインが少年の頃に抱いた夢やビジョンを驚異的な忍耐力をもって理論にしたことで、今は量子物理学的な見方も一般的になりつつある。
 現実というのは、確固たる物質の構成に基づいて成立しているわけではなく、観測者の眼差しを得て変化するという世界である。
 
 現実は幻想であるという見方の事だ。

 しかし、発症当時の僕はまだそんな知識もなく、とんでもない世界に突然放り込まれて人類全体の幸福のために永遠の孤独に閉じ込めらる運命を背負わされた宇宙飛行士のような気分に感じた。

「犠牲にはなりたくありません!」
と、神に向かって祈りとも嘆きともわからぬ叫びを声に出して泣いた。

 本当に時間が止まっているようで、空間も得体のしれない生物のように感じられたのだ。孤独ではあったものの、世界との一体感も同時に感じ、それは子供時代にしばしば体感したことのある至福の世界でもあった。

*今これを書きながら、本当は未だ退院はしておらず隔離室にいるのかもしれないと言う恐怖に襲われそうになって寒気も感じている筆者である…

 

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