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公衆電話

2・統合失調症

 実は以前一度その当時のクリニックの主治医に相談し一か月ほど入院したことがあった。鬱状態が酷くなり仕事が出来なくなっていたこともあり、家族・特に両親への面目のため自分から願ってのことだった。まだ、古い建物の頃だった。

 その時は、入院するにあたって病院や患者仲間に馴染んでしまったらダメだ‼と自分に言い聞かせた。
 畳の何畳もある広い大部屋で20名ほどが雑居する病室だった。
当初から意を決して毎日の自分の生活に規律を課し、体力つくりの為に階段の昇降やグランドでもランニングをスケジュールしたり・・その反省や感想など日記に記録した。
 外のグランドに出て走り始めると面していた病棟の窓から女性患者の声援を受けたことを覚えている。

 その病室には太い鉄格子があり夕日がさすと畳の上に長い影を引いた。

 その入院は医師との約束通り一か月で退院したのだが、帰りの対応をしてくれたベテランらしい看護士が何を思ったのかつぶやいた。
「患者仲間に心を許さないままに退院するとまた戻ってくるかもしれないから気を付けなよ」
と。果たして予言通りになった。
 出戻った二度目の入院では建物の窓には一見鉄格子らしいものはなかったが…ちゃんと外には出れない工夫はしてあった。

 僕の子供の頃、両親はその時代のどの家庭もそうだったように貧しくて教養もなかったが、愛情だけは十分にあり明日への希望に満ちていた。
 最初に買ってもらった本を好んで読んだおかげでその後も次々本を買い与えられ、目立つわけではないが勉強のできる真面目で大人の言うことを聞く優等生タイプに成長した。
 ただ、両親とも小心で心配性だったので、幾分それが心理に影を落としたかもしれない。

 母方の親戚は普段近くにいないこともあったし、どちらか言えば陽気な血統だったので僕を随分かわいがってくれた。しかし、僕が精神を病み始めたとき、大好きだった伯父や叔父から、
「こころをつよくもてよ!」とか
「うちの家計にはそういう血はまじっとらんわけやが・・」
など面と向かって言われた時はショックだった。
 父方の方は祖父が開墾した土地を分けてもらって隣近所に住んでいたこともあって直接何か言われたような覚えはないが、もっと陰湿な蔑みの目で見られていたのは両親からの反応で分かった。

 「統合失調症」というのは百人に一人くらいの確率で起きる精神の病気で、ひと昔前まで「分裂病」とも呼ばれていた。一生を病院で過ごしたりそれ以前は座敷牢に閉じ込められて暮した人が多かった病気である。
 概して精神病は身体的な病気と違い一見は普通にみられるので、怠けているとか本人や家族のせいにされがちで、当事者は不当な扱いを受けて絶望的な状況にも陥りやすいのは今でもそう変わってはいない。
 その患者の多くは割と高学歴だったり才能があったりし、真面目で優しい性格の人も多いので一層ダメージが大きいと言える。
 
 
 社会が複雑になり人間関係が希薄になった現代ではより患者の増えたこともあって、精神医学や薬の進歩や発達があるものの袋小路に陥ってる面もあるようである。

 社会の病と言って差支えないと思われる。

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