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私の受験記録

はじめになるが、今回の記事は、受験シーズン真っただ中の今、少しでも気がやんだり、疲れてしまったときに府と呼んでもらい元気を出してくれたらいいなぁという思いで書いている。


私は、非常に田舎の高校に通っていた。
高校の偏差値で言ったら、40半ばぐらいの高校だった。

私の高校はほとんどの進学先が40~50ぐらいに収まっている高校だった。
また、多くが指定校推薦になっている。


しかし、私の卒業の4年前にひときわ目立った進学先があった。
大阪大学だった。
この方一人だけ進学先がずば抜けていた。


それに感化されたことも影響して、私もこれまでの高校の進学先からはないような少し偏差値の高いとこを目指すようになった。

神戸大学だ。

神戸大を目指したのには、先に述べた要因もあるがもう一つある。

パーカーチャンネルというYouTubeの大学生の方にあこがれたのもある。
(実際こっちが7割ぐらいの要因を占めている)

そして、私の受験は始まった。

私の高校は文部両道を目標に掲げていることもあり、部活も非常に長いころまで参加しなければならなかった。
私は、吹奏楽部に所属しており、部活が終わったのは、9月の上旬だった。

それ以前から、ちびちび勉強もしていたが模試の成績もずっとEかD判定かなかった。

正直、この頃の自分は一人だったら、内心自分の実力じゃ受かるのは厳しいとか考えてしまっていたかもしれない。

しかし、私の高校に同様に国公立を目指している小学校からの友達と高校から出会った友達がいた。

実際、この二人以外は私の高校から国公立を志望している人はいなかった。

そう、最後の三月の時期まで残っているのはこの三人だけだった。
(正直、無茶苦茶少ないと思った。)

そして、9月が過ぎ、吹奏楽の部活動も完全に終了し、本格的に受験だけになった。
そして、この頃から、模試も少しは良くなるかなぁと非常に軽い気持ちでいてしまっていた。

でも、判定はDから変わらなかった。
もう、無茶苦茶ショックだった。
まだまだこれから期間もあるという気持ちと、本間に受かるんか?この残り期間でという焦りが錯綜としていた。

そして、冬休みに突入したが、生活は変わらなかった。
学校に行って自習室として使い、過ごしていた。
教室には、国立志望の3人と、私立志望で残っている10人にも満たない数人(確か、7人ぐらいだったはず…)

この教室にいるときは、
「絶対受かって神戸に行きたい」
の意欲がまだ満ち満ちていて、燃え盛っていた。

そして、共通テストが終わり、結果はというと、

惨敗だった…

正直、もう希望がぶち壊れた感じだった…
先生にも、「神戸は厳しいから、もうほかのところに落としたらどう」
と言われていた。
この時、私は私立一回と、神戸の前期という日本のみで志望していたのだ。

また、教室にも私立志望の人が2月の上旬でもういなくなり、
「あぁ、もうみんな受かってしまったのか。」
と、あきらめる気持ちも湧き出してしまっていた…

でも、教室には3人だけいた。
かわらず、いた。

そのようすを見て自分は、神戸を諦めなかった。

私立のすべり止めの受験も終え、無事に一校は獲得した。

その後、ついに本命のみになり受験の日を迎えた。

今となってはその時のことをあんまり覚えてないが、無茶苦茶緊張していたのは覚えている。
最後まで、国立を受けようとしていた三人のかかわりも残っていた。

LINEには、「あしたがんばろ~!!」と送りあってたのが残っていた。

そして結果は、
良くなかった

でも、やり切った気持ちは十分だった。

その後の大学生活も充実して過ごしている。
でも、この充実感の一部には、受験期にガチで取り組んだのもあるのかもしてない。
一つの青春のような存在だったのかもしれない…



大学に入ってしばらくして、得点開示がされた。
正直、どうでもいいとは思っていたが、やっぱり気になってみてしまった。

そしたらまさかの合格点まで5点が不足しているだけだった。

これをどう見るかはそれぞれだと思うが、私はこの結果を見て、
「マジ!、悔し」
とはならなかった。

どちらかといえば
「あの時やってよかった、マジでよかった」
と感じた。


ここまでいろいろとか述べてきたから、最後になるが、受験は最後まであきらめずにやりきることが何よりもだと思う。
それが、思い出の一部にもなっている。
学校の教師に厳しいと否定されても、自分の意見を貫き通すのが良い結果になることもあると思う。
なんだか最後は偉そうになってしまったが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


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