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「KUN」さんから学んだこと part2 人間は、みな浅はかで傲慢なままで一生を終える

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 私は、高校3年生の冬くらいから、「KUN」さんというゲーム実況者の動画をよく見るようになりました。

 KUNさんについては、以前の記事でもお話しているので、そちらをご覧ください。

 そんな、KUNさんから学んだことがいくつかあります。それがこちらです。

  • 倫理観の崩壊は、簡単に起こる

  • YouTubeは、時間を消費するだけ

  • 社会の闇

  • 社会の多様性

  • 何かを続けるためには、犠牲がつきものである

  • 常に変化し続けなければならない

  • コンテンツよりも人間性

  • お金で得られる幸福の限界

  • ネットでの立ち回りは、考えよう

これらの内容をpart1,2,3で分けて発信していきます。今日は、part2ということで、

  • 社会の闇

  • 社会の多様性

についてお話します。

社会の闇

突然ですが、質問します。

  • あなたは、学校時代どのように過ごしていましたか? 

  • いじめていましたか?いじめられていましたか?

  • 勉強は得意でしたか?

  • 運動は得意でしたか?

  • 親ガチャはどうでしたか?

  • 日本のどこに生まれましたか?

  • 子供のころ、経済状況はどうでしたか?

  • 子供のころ、家庭環境はどうでしたか?

  • 親が宗教に入っていますか?

  • なにか障害をお持ちですか?

  • 活発でしたか?おとなしめでしたか?

  • 恋愛経験はありますか?

  • 学校は、きちんと通えていましたか?

  • 刑務所に入ったことはありますか?

このように様々な質問を投げかけましたが、それぞれの質問についてあなたがどのように答えても構いません。この質問の自体には、あまり意味がありません。また、質問の量も、本来全く足りません。

 大事なことは、

あなたと違う答えをした人が世の中に多くいて、あなたの周りにもいます。
そして、あなたの周りの人だけでは、到底すべての組み合わせを網羅できていると考えることは、とても浅はかで傲慢と言えるということです。

皆さんの周りに刑務所に入ったことのある人は、いるでしょうか?あなたの周りに不登校の経験があって、中学校もほとんど行かなかった人は、いるでしょうか?

もちろん、自分が当事者だという人もいるでしょう。

私は、今の2つの質問に対して、それぞれ「NO」と答えます。

ゆえに、当事者である彼らの気持ちは、分からないし、たとえ会っても気づかない、あるいは、対応に困ってしまうでしょう。もう一度最初のたくさんの質問を見返してみましょう。

皆さんは、自分のいる世界がすべてだと、無意識に考えてはないでしょうか?

そんな訳ないという人もいるでしょう。しかし、

私たちは、世の中のすべての人間と会うことはできません。それなのにも関わらず、自分の意見、言葉は、世の中の誰に対しても、優しくあれると無意識に考えてはいませんか?私は、それこそ浅はかで傲慢であると思います。

私は、KUNさんの動画を見始めてから、様々な人に触れることができました。あくまで動画上ですが、
不登校の人、
いじめられていた過去がある人、
女嫌いの人、
親がエホバや創価学会に入っいて苦労した過去がある人、
倫理観が欠如していて何を言っている分からない人、
27歳になっても小学校生レベルの国語力の人、
IQが60くらいの人、
とてつもないお金持ちの家で育った人、
とても頭がよくて、教養に溢れている人

など、自分の身の回りにはいないような人たちを感じることができました。私は、KUNさんの動画に出会ってから、自分の視野の狭さ、人生経験のなさを痛感しました。

世の中には、人生の希望が見えない人たちが確かにいて、恵まれている自分が、いつも通り過ごしていれば、交わることのない人がいるのです。私は、KUNさんの動画をみて、社会の闇の片鱗に触れた気がしました。

社会の多様性

 自分の身の回りの世界がすべてではないと感じることができたのでは、だいでしょうか?そして、自分がすべての世界を感じることなど、到底不可能であると感じたのではないでしょうか?

 そこで、社会の多様性について、改めて考えて見ませんか?

よく twitter で争いごとが起きていますが、なぜあのようなことが起こるのでしょうか?
ちなみに、noteにヒントがあります。noteは、最も炎上しにくいSNSと言われていますが、

それは、note自体が、似た者同士をマッチングさせているからです。

ここが twitter との違いです。

twiiteでは様々な価値観の人が、自由にマッチングしてしまうため、争いごとが起こるのです。

つまり、価値観が異なれば、争いごとは起こるのです。

これを理解したうえで。社会の多様性について考えてみます。社会の多様性を広げていくと、争いごとは避けられないのでしょうか?同じような属性の人だけのコミュニティが自然と作られれば、争いごとはなくなるでしょうが、そんな都合よくは行きません。では、異なる属性の人同士がマッチングして、争いごとが起こるほど価値観の違いが生まれるならば、どうすればいいのか?
 
 自分の考えや意見が、浅はかで傲慢であると一歩立ち止まることが大切

であると考えます。皆さんは、どうお考えですか?もちろん、この記事に書かれていることすべてが、浅はかで傲慢であると私は、立ち止まって考えなければならないのです。

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