蜜柑(みかん)(浅野浩二の小説)
四年の二学期も終わりに近づいたある日曜日の夜のことだった。私は八時二十四分発のA駅行きの最前車両の中で、近くあるⅡ病の追試のため、病理学の本の腎のところを開いて、あまりよくわからないまま、みるともなくなくみながら、列車の発車をまっていた。寒さは、ただでさえわかりにくい腎をよけいわかりにくくした。車掌の警笛がきこえ、ドアが閉まろうとする直前だった。パタパタとプラットホームをかけてくる音がきこえた。パッととびのったとたんパタンとドアがしまった。小学校五年くらいの女の子だった。女の子は何度も大きく肩で息をして呼吸が整うのをまった。一分くらいで彼女の呼吸はおちついた。少女はあたりをキョロキョロみまわしてから、サラリーマンとOLの間にあったわずかなスペースをみつけて、かるくペコリとおじぎをしてチョコンとすわった。少女は、はじめ、膝の上にかばんをのせて、それからコミックをとりだして読みはじめた。私はこの少女が電車にのった時から、なぜかこの少女にひかれるものを感じていた。少女のちょっとした一つ一つのしぐさに何かひかれるものがあった。私は病理学の本を閉じて、この少女を観察することにした。というより、そうせずにはにられなかった。少女の顔はまるで木彫りの人形のようだった。つぶらな、パッチリした目は、まるで、くりぬかれたふし穴のようだった。少女ははじめ、一心にコミックを読んでいたが、読み終わったらしく、それをカバンにしまって、顔をあげた。子供の好奇心は右となりのOLのよんでいる本に視線をうつさせたかと思うと、左となりのサラリーマンの新聞にその視線をうつした。だが内容がわからなかったのだろう。少女の視線はそのうち車両の中の人間に向けられるようになった。私は彼女と視線があうのをおそれて、時たまチラッと彼女をみることにした。私は再び病理学の本を開いた。そしてまた、わからないまま、読むともなく読んでいた。電車がB駅についた。かなりの人が降り、そして少しの人がそれと入れ替わりに入ってきた。車内はがらんとなった。私はさっきの子もおりてしまったかなと思って目をあげた。すると彼女はミカンをたべていた。少女は私の視線に気づいて私に目を向けた。私はいそいで顔を下げた。私の心臓の鼓動は早まっていた。私の視線が彼女に気づかれはしなかったか心配だった。私はもう彼女をみるまいと思った。電車がC駅についた。ほとんどの人が降りて車内はシーンとなった。私はおそれを感じながらもチラッと彼女の方をみた。すると。バチン。もろに目と目があった。彼女はミカンを口に入れるところだったが、私の方をじっと見ていたのだ。私はとっさに顔を下に向けた。頬が赤くなっているのが自分でもわかった。私の心をみやぶられはしなかったか、それがこわかった。私はもう二度と彼女を見るまいと思った。何だか同じ車両に二人だけいることが重苦しく感じられた。もしも二人の位置関係が逆だったら私はためらわず後ろの車両へ行けた。だが、この位置関係ではそれはできなかった。後ろへ行くにはどうしても彼女の前を通らなくてはならない。それが気まずかった。あと四駅目の私の降りる駅が待ち遠しかった。電車がD駅についた。これで、あと三駅、と思って私はほっとした。と、その時、私の前に短いスカートとその下にみえる血色のいい足がみえた。私は顔を上げた。あの子だった。彼女は丁寧な口調で、
「これ、よかったらたべて下さい」
と言って、私にみかんをさしだした。少女は、恐らくは、これから奉公先へおもむくのではなく、家へ帰るのであろうその少女は、わたしがみかんを食べたい、と思っている、と、思い違いをしたのだ。私はこの時、はじめて、言いようのない疲労と倦怠とを、そうして又、不可解な、やりきれない退屈な人生を僅かに忘れることができたのである。
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