やりたいことがわからない理由 #144

仕事が出来る人に限って、「私は暇だ」と言う。
どこからみても超多忙でおもいきり活躍している人が、どこにそんな時間があるのかと驚くほど余暇を楽しんでいたりする。
「私は暇」そういってみたいけれど、やっぱり忙しい。

忙しい、ストレスフルだから、ちょっとリセットするための時間も必要だ、そんな言い訳をしながら、だらけてしまい浪費する時間が結構あることを薄々と感じている私。わかってはいてもなかなかやめられない私にとって、ぴったりの書籍があった。

やりたいことがわからない。
自分のことがわからない。
自分の好きなことがわからない。

 古川純 タイム・イズ・ノット・マネー 限りある時間を君たちはどう使うか? ジービー

これは、私がずっと悩み続けてきたことだ。

最近は、あえてその答えをみつけなくてもいいのかな、と思うようになっていた。

それはなぜか。
仕事のやりがいだとか、子育ての楽しさだとか、あれこれ課題はあるけれど、それなりに人生を楽しめているなと感じているから。

自分の考えで自分の道を歩めるようになってきていることを実感できているからだ。
だから、その答え探しをすることの必要性を感じなくなっていたからだ。

つまり、自分軸ができてきた、ということなのだと思う。

とはいえ、あえて聞かれるとやはり答えに詰まってしまう自分がいる。
まだまだ、自己認識しきれていない部分。
別に、わからなくても困りはしないのだけど、自分がこれからどう生きていきたいか、を考えるとやはり、無視できない。
より自己認識をふかめることが大事だと思う。

情報が氾濫している現代、選択と集中をしないと、どんどん考える時間がなくなる。

古川純 タイム・イズ・ノット・マネー 限りある時間を君たちはどう使うか? ジービー

情報の洪水で、情報の入力ばかりが増えて、考える時間がとれない結果、自己認識ができなくなるということだ。

よさそうな情報(記事・書籍・動画・音源などなど)があれば、とりあえず保存するだけで満足してしまっていた。
もう少し行動が進んで実際にそれらを見聞きしたとしても「面白い」「ためになる」「これはすごい」「いつかやろう」など、その瞬間瞬間の感情が揺さぶられるだけで、とりあえず保存しておこう。またどこかで使ってみよう、で留まる。

そうやって新しく得た情報は、記憶の奥深くのほうにどんどん押し込まれるだけで、また新しい情報刺激に反応する。

これらはすべて、情報過多が引き起こしていることなのだ。

次から次へと情報を消費するのではなく、「これ!」と決めた情報をじっくりと味わう余裕をもつこと。
これが「選択と集中」ということなんだな。と改めて思った。

「これから○○を学ぼう」と思ったときに、
それは本当に必要なことか、何かで代替できないか?と立ち止まってみる。

時としてそれを「捨てる」選択をするという勇気をもつことも必要。

これから先、私にとって「○○を学ぶ」ことは本当に必要だろうか?
得意な人に頼める作業ではないか、AIが代替してくれないか。
本当に私がしなければならない作業か。そうやって問いかけながら自分が本当にやりたいことや自分の能力を十分に発揮できるようにするために時間を使うことが大事なのだと改めて気づかされた

まずは、情報をなんでもかんでも取り込もうとせずに厳選する。(これは本当に難しい。よいものだから残すのではなく、どうしても必要なものだけを厳選しなくてはならない)
そして、なんとなく怠惰に過ぎ去っていく時間を減らすこと。
まずはそこからはじめようと思う。


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