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【113】読み切り超短編小説「こういうことをされると困るんですよ」(1985文字)

「ちっ、覚えていやがれ!」
そう言うとその男は料金を払わずに外へ出て行った。
名古屋市内の一番賑やかな繁華街から少し離れたところにあるバー。

 オレが店に入るとカウンターの席に案内された。オレは水割りを注文した。
しばらくするとカウンターの奥の方から声が聞こえてきた。
「すみません、一人で飲みたいんです。」
「そんなこと言わずにさ、少し一緒に飲もうよ」
「お客さん、もういい加減にしてください、これ以上しつこくされるなら帰ってもらえませんか」
「なんだと、」
何やらもめているようだ。
店の中には、カウンターの中に中年のママがひとり、客は20代の女性がひとりと、少し酔っぱらっている中年男性がひとり、あとはオレだけだった。
こちらから様子を見ていると、何やら助けてほしそうな眼差しを感じた。

「大変失礼ですけど、彼女も嫌がっているようですし…」オレがそこまで言うと
「お前には関係ねぇだろ。」
「いえ、静かに飲みたいのに先ほどから騒がれて迷惑しています。」
オレが中年男を睨みつけると男は「ちっ、覚えていやがれ!」と捨て台詞を吐き捨て出て行った。

「すみません、あのひと初めて来たお客さんですけど、何しろ私一人でやっているお店なので困っているところでした。」

「ありがとうございました。私ママのことが好きで、よくこのお店に来るんです。あのーもしよろしかったら、少し一緒に飲んでいただけませんか。」
30分くらい一緒に飲み、話も弾んで、1週間後にまたここで会う約束をした。

1週間後
彼女は約束の時間通りにバーにやってきた。
母一人娘一人の家庭で育って、それでも自分でバイトをしながら学費を稼いで大学を卒業した話や、失恋で自暴自棄になった話など赤裸々にオレに話した。
また1週間後の同じ時間にここで会う約束をした。

1週間後
彼女が約束の時間から30分遅れてやってきた。
いつもと違い元気がなかった。事情を聴くと以前から体調の良くなかったお母さんが入院して手術をすることになったらしい。何やら難病のようで結構な手術費用がかかるとの話だった。一通り話を聞いた後オレが口を開いた。

「そんなに悪いようには見えないけど…」オレはカウンターの中のママを見つめて言った。
「えっ」…ママと彼女が見つめあった。
「実は、少し前からあるバーで詐欺まがいの被害に遭ったという相談が署にありまして、そこで刑事の私が潜入捜査をすることになったんです。」
「……」

「あなたたちは、母娘でしょ。そして最初に会ったあの男もグルだ。」
「ど、どうして分かったんですか。」
「手口が教科書通りなんですよ、すべてが怪しすぎました。まず最初に会った男はどう見ても初めてのお客とは思えない。初めてきた店ではまず他の客に話しかけない。私が仲裁に入った時も意外にすんなり引き下がった。料金を支払わずに出て行ったのにそのことには一切触れなかった。初めて来た客に「あの人」というのは違和感がありました。もめるタイミングもこちらに助けを求める眼差しもミエミエでした。そしてなんと言っても若い女性が一人で来るにはあまりに似つかわしくない店だ。母親が体調悪いのに夜に出歩くはずがない、それから…」

「もういいです、申し訳ありませんでした。」ママが言った。
「私たち罪になるのでしょうか?」娘が聞いてきた。
「そうですね、詳しい話は署の方でお伺いさせていただきますので」
「何とか大目にみてもらえませんか」ママがすがるような眼で訴えてくる。
「いや、そういう訳にはいかないのです。」
「お願いします。そこを何とか」
「そう言われましてもねえ…」

ママがレジの方に向かい何やら封筒に入れてオレに手渡した。
中を確認すると30万円位入っていた。
「こういうことをされると困るんですよ」
「お願いします。もう二度としませんので、今回だけ何とか見逃してください。」
「私からもお願いします。」娘がすがるような目つきで言ってきた。

ママが無理やり背広の内ポケットに封筒を入れてきた。
「…困ったなぁ、…じゃあ今回だけ…署の方には何もなかったと報告しておきますので二度とやらないでください」
「ありがとうございます。もう二度とやりません。」

外に出ると見覚えのある男が立っていた。
「やはり、あなたでしたか、実は半年くらい前に刑事と名乗る男に口止め料を要求されたというタレコミが数件あったんです。そこで極秘捜査チームを立ち上げたところ、あなたの名前が挙がってきました。ここのお店に協力してもらい一芝居打ってもらったのです。ようやく今日証拠が掴めました。上司のあなたを逮捕するのは心苦しいですがあなたを…」

「ちょっと待ってくれ、お前をさんざんかわいがってきたのは誰だ。いや、ただとは言わない…」オレはそう言うと先ほどママからもらった封筒を部下の内ポケットに入れた。
「こういうことをされると困るんですよ…  ってさすがに無理です。」


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