月曜日
よりによって日本でペストが流行り出した。こんな最悪なことは久しぶりだ。私も怯えているが、私の周囲も怯えている。テレビでは一日中、この感染症の話題で持ちきりだ。しかし、私はテレビを全く見ないのでこの話は伝聞である。しかし、最近ではテレビで放送されることを信じないという人たちも一定数いるようだ。かくいう私もほとんど信じていない。
ところで、ペストが流行り出したが問題はなんだろうか。それに感染することか。それとも、それで家族を失うことだろうか。あるいは友人たち。残念ながら私は失うものがない。そもそも私は周囲の人間たちも大衆もテレビもネットも信じないのだ。だから、最近は自分が何者かがわからなくなってきた。それが私にとっての一番の脅威なのだ。
しかし、最近はテレビの様子もおかしいと聞いている。以前は陰謀論を批判的、あるいは冷ややかに扱っていたのに、近頃はそのような人たちの思想を疑いながらも理解を示そうとしている。かくいう私もそうなのだ。
『何が真実かなんてわからないではないか?』
とある日、私は会社に出勤した。やはり皆、感染対策を徹底している。ある同僚は私にこう言った。
「どんなに対策を徹底しても防げるものではありません」
仲の良い他部署の上司も私にこっそりとこう言った。
「そもそも、部下が感染対策を徹底しているかは疑わしい」
私もそう考えている。何しろ私は私自身も信じていないのだから。
ところで、やはり予想通りペストの猛威は日本中に広がっていく。人びとは怯え、他人を信用しなくなった。他人とは物理的にも心理的にも距離を置くようになった。これは無理もないだろう。何しろペストに罹ったら大変なことになる。もはや彼らにとって信じられるのは自分や家族しかいない。
ある日、私は近くに住んでいる家族と夕食を食べることになった。焼肉だ。
「久しぶり。しばらく会わないうちにだいぶ変わったわね」
母親はマスクを外した私を見てそう言った。
「母さんもね」
「ところで会社の様子はどう?」
「いや、皆んなビクビクしながら仕事してるよ」
「私も最近、テレビが信じられなくなってね」
「どうしてだい?」
「だって、こんなに恐ろしいことが起きているのに、無策の政府の肩を持つようなことを言ってるのよ」
「そりゃ、そうなるね」
「ところで、弟が来ないね」
「あの子は予定が合わなかったみたいなの」
「そりゃ、残念だ。久しぶりに会えると思って楽しみにしてたのに」
「あなただから正直に言うけど、私、実はあの子はペストに罹ったんじゃないかと思ってるの」
「そんなことはないさ。あいつは俺よりしっかりしてる。きっと大丈夫さ」
「でも、この前の火曜日に変な電話をよこしたのよ」
「どういうの?詳しく教えて」
「いや、あの子が言うには、ペストなんて流行ってないってことなのよ」
「どういうこと?信じられないな」
「そうなの。きっと陰謀論とかいうのを信じてるんじゃないかと私は思ってる。その上、ペストにも感染したんじゃないかと思うのよ」
「父さんは?」
「同意見さ。あいつは個人的におれに電話をくれるんだが、最近はいつも変なことを言ってる。とにかく様子がおかしいんだ」
この日の焼肉はこんな感じだった。なんだか憂鬱で、何も信じられなれなくなった。そして3日後、滅多に俺に連絡しない弟から連絡が入る。
「兄さん、元気かい?」
「お前こそ大丈夫なのか。みんな心配してるぞ。ペストに罹ってないか、陰謀論にハマってないか」
「兄さんもなかなかだね」
「どういう意味だ」
「ところで、今日は『月曜日』だよね」
「本当か? 火曜日のはずだぞ」
「やっぱり。兄さんもいい病院があるから紹介するよ」
「何言ってんだ。お前こそペストに罹ったじゃないのか?」
「ちょっと、中国のニュースを見てごらん。今日は『月曜日』だよ」
私はYoutubeを開いて中国のライブ放送のニュースチャンネルにアクセスしてみた。内容はよくわからないが、画面右上に今日の天気と時間、そして曜日が表示してあるようだ。
「『周一』って表示されてない?」
「本当だ。これは火曜日のことじゃないのか?」
「だから『月曜日』のことだよ。あとニュースの内容もよく見てごらん」
中国人の若い女性アナウンサーがなにか喋っている。日本語字幕を表示させた。
「いま、日本ではとても奇妙な病が流行っているようです。日本人はそれをペストだと言っています。しかし、そのような事実はありません。諸外国をはじめアメリカ政府が日本政府を説得していますが、それには応じずに彼らは今後、軍備を一層強化するつもりだとも言っています。もはや彼らに何を言っても無駄なようです」
そこで、眼鏡をかけた中年男性の解説者が言う。
「彼らは確かに病に罹っていますね。彼らはそれをペストと呼んでいるが、本当はもっと危険なものです。恐らくそれは『不信』ではないでしょうか?ところで‥」
スタジオの雰囲気がにわかに慌ただしくなる。このスタジオにはアナウンサーたちの背後に、他の放送局の番組を映した画面が並んでいるのだ。アナウンサーの女性の顔が突然、引きつった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?