『精神科医が教える 幸せの授業』を読んで
私は10年ほど前から強迫障害である。近所の心療内科の先生にお世話になって、去年から野口嘉則先生の著書を読み、内省する事によって自分軸に目覚め、自分の存在価値を自分の中に見出した。又、樺沢紫苑先生の感情コントロール術を読み、疾患を受け入れる事ができ、最近ではこの辛かった体験も私の一部だと思えるようになり、悩まなくなった。
おめでた婚から22年。子供は2人とも成人し、私達に対して何でもいい合える親子になれた。私が子供の頃から目指していた夢は幸せな家庭を築くことだった。幸せになる夢は叶った。
幸せだけど、10年以上お世話になってるssriの薬がセロトニンの薬である事も知っていたが、精神科医の先生が思う幸せを知りたいと思い購入した。
本に脳内には三つの幸福物質があり、ドーパミン、オキシトシン、セロトニンである。
又、1番大事な事は満たす優先順位があり、ピラミッドの型の1番下にあるのはセロトニン的幸福、真ん中はオキシトシン的幸福、1番上がドーパミン的幸福である。
「つながり」は大切ですが、まずは「健康」。オキシトシン的幸福よりもセロトニン的幸福の方が優先順位は高い事を知り、病気になると人と会う元気も無くなり、学校や会社に行けなくなると、繋がりも失われる事。つまりセロトニン的幸福を失うと、連鎖的にオキシトシン的幸福も失うこと。
セロトニン的幸福、オキシトシン的幸福の基礎の土台をしっかりしてから、ドーパミン的幸福(自己成長)をする事が大切だと分かりました。
セロトニン的幸福とは、具体的には体調がいい、リラックス、爽やか、気分がいい、集中力が高い、という「be」の幸福🟰感情を大切にする事、その小さな事のありがたさを感じきることの積み重ねがセロトニンであると知りました、幸せはここに見出す事であることも知りました。
樺沢先生は、いつも睡眠、運動、朝散歩とyou tubeで発信している。
私の基本的な性格としては、他人の目を気にする、自信のない、頑張りすぎてしまう性格でした。
親からの兄弟に対する虐待や夫婦喧嘩をする姿をたくさん見てきて、リラックスする事など出来るはずもなく、自分を抑圧し、あるがままの自分でいることが許されなかった家庭環境で育った。
だから、親の反面教師となり、完璧な良い親になれば、きっと幸せになれると信じて子育てしてきた。
オキシトシンの幸福を求めるばかりに、自分を犠牲にしているだなんて思いもしなかった、10年前に強迫障害になった。
初診のセロトニン処方の量は、今の15倍の量だった。感情もなく、感じるのは繰り返し起きる不安と絶望感、目に見えないわからない事への恐怖。
主人に見捨てられる不安があり、言う事も出来なかった。
1人で死ぬのは嫌、けど家族みんなでトラックにはねられたらどんなに気が楽になれるんだろうかと考えたこともあるけど、死ぬ勇気がなかった。
主治医やこの薬にどれほど命を支えてもらってきたんだろう。
前向きになれない気持ちを、気持ちを切り替える為に淡々と子育て出来たのは、子供には幸せになって欲しい気持ちがあったからこそ。自分の親の様になりたくないから、主人に感謝をし続ける事をしてきました。
どれだけ長く暗い闇に耐えてきたんだろう。そんな状態でも、症状は毎日一歩ずつ良くなってきました。
感情が元に戻る事、少しでも症状を忘れる事ができた時に、生きている事は素晴らしい事なんだと感じた時もありました。更に良くなり、度々症状が出てくる程度になりました。
今は、生きている事に感謝し、セロトニンを感じるように特に意識しています。本を読む事や楽しい事に目を向けるようになり、第二の人生を謳歌したいです。
最近は、主人にも受け入れられていたんだと実感し受け入れられる喜びを、毎晩のように嬉し泣きしてしまいます。親に受け入れられてない分、愛は生きる喜びに繋がっているんだと実感しています。
セロトニン薬をやめられたら良いとは思いますが、私は歪んだ認知を持っていることも理解し、自分を十分に知った上で、先生の言う睡眠、運動、朝散歩で健全な精神を何十年も過ごした上でやめられるものだと思います。不完全こそ完璧であることも忘れないで生きていきたいです。
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