雪助

美術大学 洋画専攻の19歳♂ 哲学・数学・心理学・情報を勉強中。  眠れぬ夜に、深夜徘…

雪助

美術大学 洋画専攻の19歳♂ 哲学・数学・心理学・情報を勉強中。  眠れぬ夜に、深夜徘徊をしながら記事を書いているので、投稿するのは殆どが深夜1時〜5時となっております。  (ときたま実習をサボって図書室とかから投稿することもある)

マガジン

  • 僕の勉強記録

    私の学生生活も、残すところあと半年となりました。  理論的知識と具体的実践、その両輪を大切にしつつ、現実の問題解決に役立ちそうな領域を勉強していきます。

  • 思索録

    主に哲学に関する思索をぶちまけてゆきます。 もちろん、思索の前提となる情報に、エビデンスなどありません。 思い込みと狭い知識と浅い経験をもとにした、正しいかどうかがだいぶ怪しい思索です。 基本無責任に適当なことを言っていくスタンスで記事を書いています。

  • 適当な日記

    その時々考えていることです。 基本、その時リアルであった体験や本や人から影響を受けて考えたことを言語化して記事にしています。

  • 創作録

    芸術とは、イマジネーションのコミュニケーションである。  日本画家 千住 博の言葉です。  言葉、色彩、造形、音楽。  私は様々な方法を用いて、自分のメッセージを他者に伝え態度考えています。  ここでは、それらについて考えたことを言語化して記事にしています。

  • 人間録

    齢19になるまで内に篭り孤独に生きてきた大学生♂ですが、最近は興味の対象が自分の内面より外の世界へと向き始め、友達も沢山できております。  その中で、私がリアルな繋がりの中で得た気づきや考えを言語化して記事にして行きます。

最近の記事

  • 固定された記事

美大生だけど、正味、「美とは何か」とか馬鹿馬鹿しい

 なぜ「美とは何か」という馬鹿馬鹿しい問に対して、哲学者達は必死に考えてきたのだろうか。  いや本当に。  「美とは何か」という問いの立て方が先ず間違ってんだよね。  「美」という概念が日々の生活の中で歴史的文化的に、どのような利用のされ方をしてきたのか、ということを考えることの方が、よっぽど有意義だ。  美学を勉強すると、いつもそんな気になる。  というか、哲学全般そんな感じだ。  結局のところ、主観的な持論をさも絶対的な真理であるかのようにして皆の共通了解にしたがる、そん

    • 自分のことを僕と呼びたい(其の2)

       以前、自身のnote記事にて「自分のことを僕と呼びたい」という題を冠して、自身の自認している性格と一人称とのあいだの乖離に関する悩みを語った。  そこでは、自分のことを「私」や「自分」と呼ぶのではなく、「僕」と呼ぶことで、自分らしい言葉使いにしようと考えた。  しかし最近、また考えが変わったので記事にする。  ここ数ヶ月、note記事を書く際に自分のことを「僕」と呼ぶことにしていたのだが、ココ最近、この一人称にいささか違和感をある感じるようになった。  「僕」よりも「私」の

      • 不謹慎なことを主張する

        メンタル病んでる人って超面白いよね!  彼らって本当に面白い。  話を聞いてる分には面白いんだよね。  でも、リアルでは絶対に関わりたくない。  メンヘラってめんどくさいし。  彼ら(彼女ら)って基本的に地雷塗れだから扱いが面倒臭いし、その上非生産的な思考で頭ん中埋め尽くされてるから、とにかく話が通じなかったりする。  しかしながら、深入りせず、その辺のベンチとかで1体1のカウンセリングをしてみると、結構面白い話が聞けたりする  メンヘラ気質の人って、その病的な行動パターン

        • 感受性の高くて内向的な人には勝てっこない

           友人に、感受性が高く、内気気味な女の子がいる。その人と話したり作品を見たりすると、自分の内面世界との間の圧倒的な質量差に驚かされる。  彼女が頭の中で考えていることが、頭の中すっからかんの自分とは全く違うことを思い知らされるのだ。  今まで知らなかったけどさ、感受性が高いって、つまり、同じ経験をしても得ることの出来る情報量が段違いってことなんだよ。  しかも内向的な人の場合、膨大な量の情報を、一人の時間に全部処理できちゃうから、気づいたら物凄く深い思考の持ち主になっていて、

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        美大生だけど、正味、「美とは何か」とか馬鹿馬鹿しい

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        記事

          薄ら、漠然と (其の2)

           この記事は、半年前に書いた「薄ら、漠然と」の内容を、いま現在の視点でより高い解像度で言語化・解明したものです。  私はずっと、孤独な世界に幽閉され、無思考に生きてきた。  狭い世界の中で、無思考に、ただ、目の前にある物事を処理していく。  そんな日々を送っていた。  この世界の中で、一人の人間として、現実を生きているという感覚がない。  ただ純粋に、目の前にあることしか見えず、きや、それすらも見えず。  何なのだろう。  何なのだろう。  何なのだろう?  何もかも、なん

          薄ら、漠然と (其の2)

          自分の思考って、薄っぺらいな。

           自分の思考って、薄っぺらい。  基になる情報も少なく、それらに対する情報処理量も少ない。  だから、その結果たる私の書く文章も、中身がない。  私の書く文章は、基本的に視野が狭く、次元の低い主観レベルの話ばかりだ。  よく勉強している学問が心理学、哲学、数学という点からも察せられる通り、私の興味の対象は、基本的に自分自身の内面世界へと集中してしまっているのだ。  やはり、内省ばかりではなく他者との関わりや読書などで外の世界へと興味関心を向けることをしなければ、これより先に思

          自分の思考って、薄っぺらいな。

          過去

          今日は、実家の帰省から帰る日だ。 (投稿日は9/21となっているが、実際は一ヶ月前に書いた日記を後から再構成しているため、執筆日が前後している。) とはいえ、地元で会う人などおらず、なにもせず家で孤独に親と過ごす日々を送った。 寂しさと絶望に押しつぶされ、ひたすら辛かった。 母校の周辺に、ふと立ち寄った。 そこにはもう、何も残っていなかった。 残っているのは、2年前の記憶だけ。 毎日通った通学路 やたら長い赤信号 帰り道いつも眺めた喫茶店。 いつも車道の向かいから眺めていた同

          深夜4時 一人で家を抜け出して

           これを今、自分が書いているのは、午前4時のこと。  家に友人に招き入れた夜のことだ。  友人達とお泊まり会を開くことにした。  しかし、眠れない。  いつもの如く、思考がフル回転する。  最近いろんな事がありすぎて、自分を取り巻く状況や経験が一変して、新たな思考が次々湧き出てくる。  ダメだ、考えを言語化しなければ、このモヤモヤは収まらない。  いつもなら、サッとスマホを取りだしてメモる所だが、周りには友人達が寝ている。  1人になりたい。  そう思った。  そこで自分は、

          深夜4時 一人で家を抜け出して

          深夜に食べる唐揚げ定食

           気分が沈んだり、嫌なことがあったりした時には、深夜に近所のラーメン屋に来て唐揚げ定食を注文する。  そんな時には、大概変な時間に寝てしまったり、逆に寝付けなかったりするから。  スマホを触ってしまうので、昔のように待ち時間の間、今か今かとラーメンが届くのをワクワクすることは出来なくなったけれど、それでも、たまの深夜ラーメンというのは悪くない。  ごくたまに、家から2時間ほど自転車を走らせた、20km先にあるラーメン屋台へ行ったりもするけど、逆に孤独感が激しく増幅して、精神的

          深夜に食べる唐揚げ定食

          やはりリアルな言葉こそ、人の心に届くのだろうか。

           noteを初めて1年。  過去の記事のイイネ数をざっと眺めてみると、面白いことが分かった。    入念に推敲して1週間くらい書けて書いた記事よりも、ただ独り言を垂れ流しているだけの、雑に書いた記事の方がよく読まれ、高評価を受けているのだ。  それは何故なのか考えてみた。  答えは多分シンプルだ。  自分の実体験を言語化をしているから、内容がリアルかつ濃く、人の同感を得やすいのだと思う。  自分自身の心の深いところを言語化して書き留めた記事は、すごく読まれている。  やっぱり

          やはりリアルな言葉こそ、人の心に届くのだろうか。

          深い内省と広い視野

           大学に入学したばかりの時の僕は、物事を軽く考すぎていた。  「人生楽しんだもん勝ちだ!」  「幸せに生きればそれでいいんだ!」  「努力次第で何者にだってなれる!」と。  自分の内側にばかり目を向けて、「今この瞬間に集中して、幸せを感じることが出来ていればそれてok」という、内的な思考や感覚を中心に物事を考えていた。  結果、思考と現実との間のギャップのせいで状況が悪化し、病んだ。  2回生になってからの僕は、もっと周りに目を向けなければ、真面目に考えなきゃ、幸せならそれで

          深い内省と広い視野

          僕は幼稚で、馬鹿で、でもしぶとい。

             僕は幼稚だ。  あまりに幼稚だ。  高校生になっても、小学生のように周りに振舞い、親に甘え、全く自立しようもしなかった。  そして気づけば、小学生レベルの精神年齢から抜け出せないまま、大学生になってしまった。  周りの大人や同級生から沢山心配をされながら、この歳になってしまった。  最近、自分は「もっと精神的に大人にならなくちゃ、もっと深く考えなきゃ、そうしなきゃ、友達が作れない…」ということばかり考えている。  大人ってのは、自分のことだけじゃなくて周りにいる人やコ

          僕は幼稚で、馬鹿で、でもしぶとい。

          自分の心の居場所が、分からない。

           高校生の時の僕は、とにかくメンタルが虚弱で、不安と焦燥に呑まれていた。  せっかく向こうからフレンドリーに話しかけてもらっても、自分の方から遠ざけてしまっていた。  周りに対する劣等感があったし、皆は自分より遥か先に進んでいて、自分は周りから取り残されているんだ…というふうに感じていたから。  そして、周りの人との間に心の壁を作ってしまった。  相手のことをもっとよく知ろう、分かろう、寄り添おう、気遣おうという気持ちよりも、自分がどう思われているか、自分がどう話したら良いか

          自分の心の居場所が、分からない。

          暑い日の中、風景画を描いてきた。

           暑いなあ。  最近、精神機能がバグって、全身の感覚や感情が異常に鈍感になっていたせいで、あまり、寒いとか暑いとかそういう感覚を感じることがなかった。  だがしかし、暑い。  暑さをこんなにもきちんと感じられる。  晴らしいことだ。  生きてるって感じがする。  作品の提出日が近いというのに、風景画がなかなか進まない。もうずっと、休憩所の日陰でnoteの文章を読み漁っている。  楽しい。  つい最近まで、目に映る世界全てが、無機質で、資料館の出口付近で延々ループ再生されている

          暑い日の中、風景画を描いてきた。

          毎晩の幸福度計測を日常に取り込む実験

           僕は昔っから精神を病みがちだ。  いくつになっても友人が出来ず、家に引きこもり、孤独になり、じわじわと精神を病んでいく。  僕はこのしんどい現状を打開し、充実した日々を送れるようになることを、ずっと、目標にし続けてきた。  1年、2年、3年、と。  高校2年の時に決意してから、もう3年が経つ。  大学生のうちにはもう間に合わないかもしれないけど、いつかは、この夢を叶えたいと思っている。  そのためには、まず何が必要か。  僕は考えた。  結論。  目標がどれだけ達成されてい

          毎晩の幸福度計測を日常に取り込む実験

          鬱っぽいけど、頑張るぞゥ…

           一人暮らしを初めてはや1年。  僕は順調に精神を病んでいき、今では軽いうつ状態になっている。  学校では友達が出来ず、バイトもほぼ行かないので金がなく、家ではやることが無いので、YouTubeやアニメを見たり、気が向いたら掃除をしたりしている。  生活もボロボロだ。  まるで文化的でない。  学校をサボって家に引きこもり、ご飯は適当にカップ麺やら菓子パンやらを食べ…  運動不足、昼夜逆転…実家にいた時とは売って代わり、人間的で文化的な生活とは程遠い、無機質で生きる喜びのない

          鬱っぽいけど、頑張るぞゥ…