理想主義者、幸福洞察

理想主義者が幸せを感じれるかどうかは、「人類を肯定できるか」どうかにかかっていると思います。

NF型は、自己のその性質上、人間の、醜悪さと美しさを、他タイプより深く、直感的に理解していると感じます。

そして、おそらく、愛の能力が、他のタイプより高く生まれついてしまった。だから、愛について、自分と同じレベルの人間ではないと満足できないのだと思います。

例えば、「相手は自分を愛して居ないが、こちらは相手を愛している」という、悲しい構図を作りながら、人間関係を構築するのも、理想主義者の悲しい性のようにも感じます。太宰治の人間失格よろしく。

NF型は、多分ほとんどの人が、「個人」を愛することは可能なんですよ。僕が見てきた限り。

特定の個人すら愛せない人間たちが蠢いている世の中で、そんなことはもうすでにできているNF型たち。

本来なら、人間は、特定の誰かを愛せる時点で幸せを感じるはずなのですが、理想が高すぎる故、NF型はそれでは満足しません。

NF型は、人類全体を肯定できるようになって初めて、幸せになれる気がします。

もう本当に、マザーテレサのような考え方を目指すしかないのかと。

NF型は、大きい視点で物事を捉えるため、どうしても、「人」の扱いが、「人」ではなく「人類」となります。

この性質上、白黒思考にならないのは、むしろ異常な感じもします。


僕ももれなく、上に書いている、NF型の理想主義者の一員なのですが、世界は嫌いです。ぶっ壊れろって毎日思って居ます。

大体の人間は、多かれ少なかれ、利己的で、自分の保身のためならなんでもする。多数派に従ってればそれでOKで、少数派なんてどうでもいいと思っている。愚かな生き物だし、愛する価値なんてないと思って居ます。


ですが、僕の今の生きる目的は、「人生をかけて、醜くも尊い人間という生き物を愛すること」ですね。

なぜかというと、それは僕の幸せに繋がるからです。


自分で感じるのですが、僕は、どうやら、自分の感情には全て人間が関わっている気がします。

「人間死ね」って思ってる時は、すごい不幸感じるし、「人間尊いわ」って思ってる時は幸福感じて居ます。


これを読んでくれた理想主義のみなさん。

「人間愛するとか無理ゲーでしょ」って感じしますけど、人間を愛せるように一緒に頑張りましょう。

僕も頑張ります。

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