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「わたし」を哲学する


1.固有性としての「わたし」

私とは何か。普段、私たちは自分の足の爪先から頭の天辺まで「わたし」であると固く信じている。しかし、本当にそうだろうか。美容院で散髪した後、床に散らばった髪の毛を「わたし」であると思うことはないだろう。視線を身体の内側に転じてみても同じことが言える。血液や唾液や糞尿といったものは、私たちの外部に排出された瞬間に「わたし」という自同性を失ってしまう。

「わたし」が「他性」へと回収されてしまう上記のようなケースとは逆に、「他性」が「わたし」という同の回路に回収される場合もありえる。いま、仮に私が事故で重傷を負い、臓器移植を受けることになったと仮定してみよう。自分の臓器を他人の臓器と交換した後、私は他人の臓器だったものを私の臓器であると(言い換えれば「わたし」であると)見なすようになる。このように移植後の私が、依然として移植前の自己同一性を保っていることは容易に想像できる。それでは他者と私とを切り離す、私の固有性とは一体何なのだろうか。河合隼雄が『無意識の構造』の中で紹介している、インドの仏教説話は「わたし」というものを問うことの難しさを明示している。

ある旅人が空家で一夜をあかしていると、一匹の鬼が死骸を担いでそこへやってくる。そこへもう一匹の鬼がきて死骸の取りあいになるが、いったいどちらのものなのかを聞いてみようと、旅人に尋ねかける。旅人は恐ろしかったが仕方なく、前の鬼が担いできたと言うと、あとの鬼が怒って旅人の手を引きぬいて床に投げつけた。前の鬼は同情して死骸の手を持ってきて代りにつけてくれた。あとの鬼は怒って脚をぬくと、また前の鬼が死骸の脚をくっつける。このようにして旅人と死骸の体とがすっかり入れ代わってしまった。二匹の鬼はそこで争いをやめて、死骸を半分ずつ喰って出ていってしまった。驚いたのは旅人である。今ここに生きている自分は、いったいほんとうの自分であろうかと考えだすとわけがわからなくなってしまうのである。

(河合隼雄『無意識の構造』)

2.イメージとしての「わたし」

現代社会では美容に対する関心が強まり、化粧やダイエット、整形手術を行う人が増えている。また、SNSに自分の写真を公開する時、そうした写真は必ずといっていいほど加工されている。まるで「理想の自己像」という鋳型に、自分を無理矢理当てはめようとしているかのようである。作家の中村うさぎは『愛という病』の中で、次のように書いている。

女の子は幼い頃、たいてい、バービーやジェニーやリカちゃんなどの着せ替え人形で遊ぶ。言うまでもなく、人形は、自分の分身である。手足が長くて顔が小さく目のパッチリした人形に自己投影し、脳内に「理想の自己像」を作り上げるわけだ。結果、思春期以降の女たちは、バービー人形のようなボディイメージに己を近づけるべく、ダイエットしたり化粧したりと、涙ぐましい努力を重ねるのである。 もちろん、私もそんな女たちのひとりだ。小学生の頃にバービー人形の呪いに取り憑かれ、細い体や大きな目や尖った顎に憧れて、美容整形までしてしまった。現在、五十一歳にもなるのに、私はいまだにバービー人形になりたがっている。我ながら滑稽だけど、やめられない。誰が何と言おうと私は自分の「見た目」にこだわり続ける。

(中村うさぎ『愛という病』)

私たちはバービー人形などの玩具、テレビや雑誌などのメディアを通して、「美しさの標準」を幼少期から刷り込まれている。そのような社会の共同幻想へ過剰適応してしまうと、「美しさの標準」から外れる「わたし」に対して否定的なまなざしを向けることを強いてしまう。身体の表面に切れ目を入れ、線を引き、穴を開けるといった行為は、ひいては自分の中にある「異質性」を絶えず摘発するということなのだ。いま、ここにある「わたし」を異質なものとして捉え、否定し続けなくては自分の存在を保持することはできない。しかし、「わたし」を絶えず摘発し続けた末に待ち受けるものは一体何だろう。いつの日か、私たちは鏡に映る見知らぬ「他者」を見つけるのではないだろうか。

3.制度としての「わたし」

詩人のアルチュール・ランボーは、「私とは一個の他者である」と書簡の中で記している。恐らく「わたし」とは「他性」や「異質性」を排除した結果、立ちあらわれてくる純粋かつ唯一的な存在ではありえない。むしろ、「わたし」とは「他者」との関係性の中で自己を認識し、維持し、新たに形成されていく極めて流動的な存在なのではないだろうか。

セーレン・キルケゴールは『死に至る病』の中で、「自己が何に対して自己であるかというその相手方が、いつも自己を量る尺度である」(斎藤信治訳)と書いていた。私たちは、社会の中であらゆる役柄や属性を割り当てられる。家族、職業、地域、国籍といった間主観的な制度に自らを同調させ、集団に帰属することによって私たちは自己を確立していく。しかし、またそうした役柄や属性は社会の中で共有され、代替可能なものとして成り立っているため、どれひとつとして私に固有なものになりえない。哲学者の鷲田清一は『じぶん・この不思議な存在』の中で、次のように書いている。

ひとはだれかの子どもとして生まれ、園児になり、生徒になり、会社員になり、父になる……。これら「ひと」をつくりあげているものは、そういう役柄や属性それじたいをとれば、どれ一つそのひとに固有のものはない。これらはわたしが他者を定義づけ、他者がわたしを定義づけるときの材料一式ではあっても、かといってこれらの総計が〈わたし〉なのでもない。わたしが〈わたし〉になるのは、むしろそれら役柄や属性の断片をつぎあわせて、じぶんというもののイメージを組み立てるなかでである。

(鷲田清一『じぶん・この不思議な存在』)

ゲシュタポのユダヤ人移送局長官であったアドルフ・アイヒマンは、数百万人ものユダヤ人を強制収容所へ移送し、ガス室へと送り込んだ。しかし、彼自信は特別に極悪非道な人間であったわけでも、強烈な反ユダヤ主義者であったわけでも、熱心なナチ信奉者であったわけでもない。家に帰れば善き父でもあったアイヒマンは、どこにでもいるような出世主義的で、凡庸な小作人的な人物でしかなかった。アイヒマンは「第二の自然」という制度に自らを同調させ、その実存を「善き父」や「よき労働者」といった役柄や属性へと還元させることで、一見矛盾とも取れるような総体的人格を形成していた。

間主観的な制度に自らを同調させるということは、制度と自分との間の差異を失くしてしまうということだ。話はアイヒマンに限定されない。ヒトラーの側近であるハインリヒ・ヒムラーも、ヒロシマに原爆を落としたエノラ・ゲイ乗組員たちも、公の場でその理由を問われると「命令されたから」と答えた。私たちは集団に帰属することによって、人格を形成していくが、その一方で制度への批判的思考は阻害される。そのため、ときに私たちは思考を放棄し、行動の原因を「他者」に委ねるのである。

また、制度と自分との区別をなくすということは、自分が制度から外れてしまった際にアイデンティティの崩壊を招く恐れがある。濡れ落ち葉という言葉があるが、定年を迎え、毎日おなじ時刻に出勤する必要のなくなった中高年の男性が、「わたし」という存在をひどく不安定に感じるというのはよく聞く話だ。これは「会社員」という自らを同調させていた制度を突然失ってしまったために、「わたし」というシンボリックなイメージを組み立てられなくなったためだろう。濡れ落ち葉とは、「わたし」という存在を「妻」との関係性のもとに必死に再建しようともがいている、中高年の自分探しと言えるのかもしれない。

4.「わたし」からの脱却

二度目の大戦が終結した後、人々は戦地から帰還して、始めて親しいものの死を知ることとなった。かつて死者が占めていた位置、誰かと代替不可能であるように思われていた場所は、「わたし」を含めた生者によって埋められている。戦火に焼かれ、砲弾によって抉られた街並みはやがて修復され、喪われた無数の死を隠し続ける。親しいものの死ですらも、世界に穴を穿つことが出来ない。世界は何事もなかったかのように回り続け、無限に新しい朝を迎える。

こうした世界の只中で生者はなぜ自分は助かったのか、と自問自答を繰り返す。かつて親しいものが占めていた位置を簒奪し、「わたし」がのうのうと生き延びているのは何故か。死者の代わりに「わたし」が死ななかったのは何故か。「わたし」という存在はこのようなサバイバーズ・ギルトを抱える人たちにとって、耐えがたいものであるが、私が「わたし」という存在に打ち付けられて在る限りにおいて、逃れることは出来ない。ユダヤ人の哲学者、エマニュエル・レヴィナスは私が「わたし」でしかないというこの絶望を、吐き気という生理感覚を用いて記述している。

レヴィナスが吐き気を感じるのは、私が〈私〉でしかないことにたいしてである。繰りかえし吐き気がこみ上げ、みずからの内容物を嘔吐するとき、吐き気はただじぶんの内側から到来し、私はひたすらじぶんがじぶんであること、〈私〉が私の存在に貼り合わされていることに嘔吐するほかはない。私は絶望的にみずからの存在を拒否し、しかもその拒否が成就することはない。

(熊野純彦『レヴィナス入門』)

サバイバーズ・ギルトを抱える人たちほど深刻な状況でなくとも、誰しもこの「わたし」というシンボリックなイメージに辟易し、そこから抜け出したくなったことが一度はあるだろう。私たちがコスプレをしたり、イメチェンをしたりするのは他者から見られる「わたし」のイメージをうち壊して、新たな自己像を再建するためのプロセスであると言えるかもしれない。

かつては自己像を破壊し、再建するためのプロセスが、ある種の社会装置として成立していた時代があった。民俗学者の小松和彦は、「神隠し」とは病人や精神的に不安定な者など社会から排除されやすい人たちを一時的に隔離し、戻ってきた際には深く詮索せずに社会に回収するための社会装置であったと分析している。

神隠しとは〝社会的死〟の宣告であり、それから戻ってくることは〝社会的再生〟であった。ある意味では、神隠しは恐ろしい異界体験であるとともに、社会的存在としての人間の休息のための時間であったり、日常生活の〝向う側〟で新しい社会的存在としての生活に入ることであったともいえるかもしれない。

(小松和彦『神隠しと日本人』)

国や企業によって個人情報が管理され、あらゆる行動に自己責任という言葉がつきまとう昨今とは異なり、昔の日本では「わたし」という存在にあわいがあった。現代においてはSNSや監視カメラの普及によって、他者から見られる存在としての「わたし」の自同性は強度を増していく一方である。


【参考資料】

  • 鷲田清一(2017)『ちぐはぐな身体-ファッションって何?』、筑摩書房

  • 鷲田清一(2018)『じぶん・この不思議な存在』、講談社

  • キェルケゴール(2013)『死に至る病』、斎藤信治訳、岩波書房

  • 中村うさぎ(2014)『愛という病』、新潮社

  • 熊野純彦(2006)『レヴィナス入門』、筑摩書房

  • 河合隼雄(2018)『無意識の構造 改版』、中央公論新社

  • 小松和彦(2013)『神隠しと日本人』、角川書店

  • アルチュール・ランボー(2010) 『ランボーの手紙』、祖川孝訳、グーテンベルク21

  • 百木漠(2018)「労働者アイヒマン-ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』再考-」、『経済社会学会年報』、40巻


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