見出し画像

人種差別と闘った話/前編

二年前、むすめが二度に渡って受けた人種差別の話をしようと思う。
当時のことを思い出すと、今でもはらわたが煮えくり返るし、後悔も計り知れない。
私たち家族の不本意な経験が誰かの役に立つことを願ってここに書き記す。

人種差別を経験して学んだことは四つ。
・嫌がらせ行為があった日時と言動を詳細に記録する
・抗議メールは、担任・コーディネーター・アドミニ・校長を含めた複数の宛先へ送る
・母親が感じる子供の違和感は大体合ってる
・我が子を守るためなら、母親は鬼にでも悪魔にでもなれる

十一月某日
スクールバスにてむすめが帰宅。
自宅マンション前にバスが停車し、同じマンションに住むメキシコ人兄弟(二年生、三年生)とブラジル人男子(四年生)が「サクラ!」とむすめの名前(仮名)を叫びながら降車し、走って逃げて行った。
彼らから数歩遅れてむすめが降車し、何があったのかを尋ねた。
数日前からむすめと日本人のクラスメイトが話をしていると、三人が振り返ってジロジロと眺め、悪意のあるジェスチャーを繰り返していたという。
特にむすめと同じクラスの二年生・ルイスが執拗だった。
以前からこのルイスには気になる所があって、私が挨拶をしても無視をし、乗り合わせたエレベーター内で、息子のことを見てヒソヒソ話をするのが嫌だった。

バス会社とむすめの担任に一連の経緯をメールで伝えた。
その際「ルイスの母親は、いつも私のことを助けてくれるので、あまり大事にはしたくない」とも付け加えた。
直接の謝罪は求めないし「もう絶対しない」と約束してくれればそれで良かった。
その日中にバス会社から返信があり「人種差別は絶対に許さないこと、彼らの態度が改善されない場合は、三日間の乗車停止処分にする」旨の連絡があった。
翌日の金曜日、前日とうってかわって、子供たちは私を避けるようにして足早に立ち去った。

十一月某日
翌週月曜日、夫がむすめを乗車場所まで連れていってくれた。
珍しくブラジル人男子の父親が、夫に世間話をしてきたという。お迎え時にはルイスの両親と遭遇し、お互いに挨拶はしたけれど違和感があった。息子が人種差別をしてバス会社からお叱りメールを受け取ったにしては、一方はあまりにも普通で、もう一方はふてぶてしかった。
私ならきっと目も合わせられない。

午後になって、バス会社から「サクラが頭を押してきて、痛かったと主張している」と連絡があった。帰宅したむすめに確認すると、心底驚いた様子で否定し、逆にブラジル人男子に髪の毛をグシャグシャにされたという。
バス会社のメールでは、三人のうち誰が主張しているのか、いつの話なのかは記載されていなかった。
即座に否定メールを送ったけれど、それに対する返信は無くバス会社と加害者家族との間でどのようなやり取りがあったのか分からず終いだった。
この直後、バス会社の担当者が急な変更となり一切の連絡が取れなくなった。
謝罪も無ければ、否認するわけでもない。人種差別を抗議したにしては、スッキリとしない終わり方だった。

そしてこの一月後、同じ相手からさらなる人種差別を受けるのだった。

中編に続く



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?