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雑感記録(9)

昨日、時間があったものですから久々に美術館へ行こうと思いまして。

僕は地元が山梨なものですから、行く美術館って割と限られていて

どこへ行こうかなと考えていた時にふと清泉寮のソフトクリームが食べたくなった。

そうすると行く場所も限られてきて逆にすぐにどこへ行くかは決まります。

それは…

中村キースヘリング美術館!!

実は好きで何回か行っているんですが、ソフトクリームついでに寄るか!

といった感じで2時間ぐらいかけて行ってきました。

Keith Haring(1958~1990)


たまたま美術館15周年記念で前日まで展示替えをしていたらしく

以前に訪れた時より展示作品が増えていて最高な1日を過ごせました。

今回はそこで出会った個人的感銘を受けた作品について少し書こうかなと。


Icons(1990)

キースヘリングというとグラフィティ・アートで有名ですよね。

なんて言うんですか、駅の構内だったりとか、路上の壁とかに

スプレーとかでこう描く作品ですよね。

あんまり僕自身、知識がないので詳しくは説明できないのが

何とももどかしいところではあるんですが……。

まあ、今回はそう言うところは置いておくとして

いずれにしろ、上の画像の作品群は誰しも目にしたことがあるでしょう。

UNIQLOとコラボしてる時もありましたよね、たしか。

こういう作品もすごく面白いなあなんて思っていますが

数ある展示作品の中で僕が衝撃を受けたのは

Bill T. Jones body painting KH8(1983)

この作品の前にずーっと立ち尽くしていました。

ボディペインティングというところにまず以て衝撃を受けましたが

惹きつけられる何かがありました。

言語化するのが非常に難しいのがもどかしいのですが……これまた。

これって多分、僕自身の先入観というか絵画に於けるバイアスってのが

非常に邪魔をしているなあと感じた訳です。

僕はどちらかというと西洋絵画を中心に見ることが多くて

時代とか潮流とかよく分かりませんが

所謂、「額縁に入っている絵画」を中心に見ています。


キャンバスに精緻に描かれた作品。

それが1つの芸術作品として受け入れられている。

というか、それがある意味での基本的なスタイルで浸透してるんですよね。

僕らが小学校や中学校での授業で学ぶ美術のほとんどが

そういった1枚のキャンバスに描かれた作品で完結している。(と記憶している。)

それこそが美術だ!と言わんばかりに刷り込まれている。

僕自身もそういうものが美術作品であると今までは感じていた訳です。

ところが、この作品は1枚の紙でなくて1人の人間をキャンバスにしている。


今ではこういった芸術作品も受け入れられているというか

浸透しているから、恐らく一般の方々からすると

「いや、別に普通じゃないの?」と言われてしまうでしょう。

でも、僕からしたら未だに感動しちゃう訳ですね。

その、うまく纏まらないから何て書いていいのか分からないのですが

何に於いても重要だと思うのですが

「当たり前を疑うこと」


ここにこそ芸術作品に触れる大きな意義があると思うんです。

今回の場合で行くと

美術の世界では1枚のキャンバスに作品を描くことが「常識」

とされている訳で、それが僕らの頭の中に刷り込まれている。

だけれども、それって別に1枚のキャンバスでなくてもよくて

逆にその美術界の「常識」と逆行した「非常識」を敢えて選択することで

従来の何かとはまた違った視点でその問題点やら、気づきというものが発見できる。

この作品ではそれを改めて認識させてくれた。感謝。


真摯なアーティストはみんな不可能を試みる。その成功が、空に大きく黙示録を書くだろう。アーティストは奇跡を狙う。画家は、自分の絵がキャンバスから抜け出して、別個の生命を持ち、絵の外での動きを持つよう意図している。そして生地のほころび一つで、伏魔殿はたちまちなだれこんでくる。

山形浩生訳 Keith Haring/William S Burroughs 「Apocalypse」(1988)
『キース・ヘリング アートはすべての人のために。』(美術出版社・2017)P.29


よしなに。

このドキュメンタリー面白いのでぜひ。

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