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雑感記録(76)

【後輩のままで居たい】


僕は仕事終わりのタバコが好きだ。仕事の合間に一区切りついたところでちょこちょこ吸いに行くが、それとはまた違った趣がある。1日の終り、場末感。これを感じるのが堪らなく好きだ。タバコを吸ってるどこか悪い自分を見つめながら煙の行方を追うのが最高に好きだ。今日の夕方は空模様がとても綺麗で格別だった。田我流のアルバム『JUST』のジャケットが思い出される。そして同時にJUSTが頭の中で流れる。

田我流『JUST』

このジャケットの空の色をオレンジ色にしたら今日の空模様とほぼ同様な様子になるだろう。このJUSTを聞きながら空を眺め帰路につく。

まったくもってチンケな人生
何が起こるかなんてマジで分かんねえ
あん時あいつに会わなかったら
そんなことばっかで今の俺がいる
オヤジおふくろダチに感謝
ありがとう。おかげで今日も笑える
苦しみ楽しみは表裏一体
明日は死なないけど今日を生きたい
夢追いたくても終えない奴はごまんと
いること知ったfoot we get got it
I push eyes in the sky
生き方違えど涙で理解
flow like a bawda across the boder
think like a budda 今もこうさ
どっからきて どこへ行くか ただルーツ張って next 拝む

I just 覚めない夢をみて
I just 流れる音に乗って
I just 楽しみたいだけ 感じるままに謡だけ
I just 季節を感じて
I just これまでもこれからも
I just 時の流れに乗って 言葉で日々を満たして明日へ

田我流『JUST』

何度聞いても染みる歌詞だ。疲弊している時に聞くとより一層染み入る。ぜひオススメしたい曲だ。


はてさて、その疲弊の一端はどこから来るのかを考えてみた。しかし、考えるまでもなく簡単だ。それは僕に直属の後輩が出来たことにある。嬉しいような、それでいて複雑な感情を抱いてしまう。今までは僕がその係内で1番下っ端だったのだが、僕の下に1人!?

僕は昔から人にものを教えるのが苦手な部類の人間だ。何というか自分で解釈して咀嚼することは特段の問題はないのだが、これを人に噛み砕いて教えるということがどうも苦手だ。教えたところで、教えた側の僕に手ごたえを感じることがない。勿論、僕もこういう状況が分かるから懇切丁寧に教えるのだけれども中々難しいと感じる。

それに加えて、僕は担当になってから1年3ヶ月くらい経つ訳だが、まだまだ知らないことは多い。お客さんと接点を持つとき非常にそれを感じる。あらゆるやり方を想定しながら話をするのだけれども、お客さんに気づかされることがかなり多い。つまり、僕はまだまだ教えられる程の人間ではないということである。

正直、自分の案件で手一杯なところで教えるというのは不安で仕方がない。勿論、それが仕事だから「いや、僕には教えられません」と断ることが出来ない。何というのか、仕事をしていて初めて「責任」という大きな問題に直面しているような気がする。「自分も大人になったな」と簡単な言葉では済ませたくはない。何だか上手く表現できないのだけれども、僕は今揺らぎの狭間に居て空間を揺蕩って彷徨っている。そんな感覚なのだろう。

しかし、僕自身が後輩だった時の(というと些か語弊がある。今も後輩っちゃ後輩な訳なのだが…)ことを思い返してみると教えてくれた先輩たちはどうだったのだろうと思いを馳せたくなる。


僕を教えてくれた先輩たち、一緒に働いている先輩たちは本当に優秀な人たちが多い。とりわけ、年齢が近い先輩方は本当に優秀だと感じる。例えば僕が1分からないことがあったとしたら、それに付随する他の10までも教えてくれる。しかもその教え方が非常に秀逸で教えられるこちらも「すげえ」となることが多い。

教えてくれるというよりも「まずは自分でやってみろ」と裁量を与えてくれるその心の広さというか、ある種の寛容さは凄いと感じる。僕はどちらかというと1人で黙々とやるのが好きなタイプなので、自分で調べながらやる方が好きだ。だから、こういう形で「思うままにやってみろ」と言われる方が僕としては嬉しい。分からないところは聞きに来いという感じがまた良い。

あとはその後のフォローが完璧なのだ。「おお、ここまでやったんか。凄いな」と褒めてくれる。適宜そういう言葉を掛けてもらえるので、自分自身もやっていて自信が徐々についてくる感じがして若干のモチベーションアップにも繋がる。その中で「こういう風にしてみたらいいんじゃない」とアドバイスまでくれる。何と素晴らしい先輩方たちなのか!

しかもだ、僕よりも数多くの案件を抱えているのにも関わらず教えてくれる。例え「仕事だから」とはいえども手厚く指導してくれることで、今後の自分自身の成長にも繋がる。今現在はそんな環境の中にいる。

それで、今度は僕がその立場になる人間だ。正直、不安でしかない。こんな風に教えられるかどうか、色々と教えることが出来るのか…。様々な不安が僕の中に渦巻く。


こういうことを色々考えだしてしまうと僕は「一生このまま後輩で居続けたいな」と感じてしまう。何と言うのだろう、後輩の特権?そんな権威あるものじゃないのだけれども、こういう環境は後輩でなければ味わえないものであろう。この有難みというか…。

しかし、ずっと後輩の立場で留まっていることもできない。ここが難しい所でもある。人は生きていれば進まなければならない。例え自分が立ち止まっていたとしても時間は容赦なく過ぎていく。

クローズの映画の中で「人は立ち止まれない」なんていうフレーズが確かあったような気がするけれど、正しくその通りだなと思う。厳密には「立ち止まれるけど、立ち止まれない」ということなのだと僕は勝手に解釈している。物理的に静止することは出来ても、身体に流れる血や諸器官の動きは進んでいる。そして外界の時間は進み続ける。

僕は後輩として留まることは出来るのかもしれないけれど、それは時間が許さないし、身体機能がそれを拒んでいるようにも感じられる。僕はそれに抗いたいとさえ思ってしまう。これを突き詰めていったら「不老不死を求める」ということに行きついてしまうのではないかとも危惧している。それはそれでなんか嫌だ。

じゃあ、僕は後輩のままで居続けられるのか?答えは否だ。


成長することと時間が進むことはある意味で比例的な関係にあると思われがちだが、僕はそう感じない。むしろ、時間によって否が応でも成長させられてしまっているという表現が正しいような気がしてならない。外面は成長するが内面はそれに釣り合うかと言われれば僕はそう感じない。

後輩という外見を纏った先輩。何だか変な表現だが僕が目指しているのはそこなのかもしれない。

そんなとりとめもない話でした。駄文失礼。よしなに。


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